まえがきその2


某書のまえがきの続きを訳してみた。というか、読んでみた。ワタクシ様はファンタジー世界の住人ではないので、秘儀的言語である英語などというものは分かりません。平たく言えば全部、呪文に見えます。恐ろしい。

これ続けるなら、随時、加筆修正しないといけないなあ。


どんなことに役立つか:


直接行動は影響力を持つために一般的である必要はない。直接行動の要点は行動それ自体にあるのであって、想像上の世論だの予想されたメディア報道だのといったものに迎合することではない。投票こそが社会参加のアルファでありオメガであると看做す民主主義的モノカルチャーの中で育った人々は、あらゆる政治的活動の唯一可能な目的とは、支持層を構築するための立場へと他人たちを「改心」*1させることだ、と思いこんでいる。結果として、彼らは直接行動が供することのできる幅広く多様な役割というものを認識しそこなう。何時でもすぐに、如何に落書きが<運動>のパブリックイメージを損なうか、如何に個人の芸術的なプロジェクトが民衆の必要性と無関係か(といったこと)を勿体ぶって話しはじめる人々というのがいるのである。『大衆を改心させる』べく手助けすることは、直接行動が担いうる多くの役割の一つにすぎない。それ以外のものについて検討しよう。



直接行動は単に個人的な問題を解決することでもある。:家族が食事を必要としている、そこで食物が育てられ、またゴミ箱から漁られ*2、あるいは盗まれる。広告は攻撃的である、だから引き裂かれたり、修正されたりする。友達のサークルがラテンアメリカ文学についてもっと学習したいと望む、そこで読書会が設立される。直接行動はコミュニティーに貢献する小さなグループを意味することもある。人々は強姦犯が近隣で活動しているのを知る必要がある、そこでビラが作られ、投函される。警察は手に負えない、そこで警察監視プログラムが開始される。


直接行動は、小さなグループが広範なネットワークの中で協働をはかる機会を与えてくれる。家主がアパートの補修をまるでしない。そこで店子の組合が賃貸ストを組織する、という具合に



直接行動は世論に揺さぶりをかけるのに用いられることもあるが、より容易く影響を受けやすい、特定の小さなグループに対して集中させることもできる。:路上の落書きは、中産階級の大人たちには真面目に受け取られないだろうが、彼らの子どものいく人かは啓示として経験するだろう*3。直接行動は、大勢(主潮、メインストリーム)に対してよりもむしろ単独の個人の利益に適うのである。:Pity Concrete Doesn't Burnと書かれたポスターは幅広い評価は得られないだろうが、この感情を共有する者たちにとっては、(自分たちが)完全に孤独でも、気が狂っているわけでもないと感じるのに役立つし、また(彼らの)沈黙した怨嗟を自分自身の表現活動へと変える刺激になるだろう。直接行動は、権力を握っている連中が否定するような視点というものの可能性を強調したり、替えの効かない適切なものの見方、あるいはグループ自身の可視性といったものを与えることができる。たとえば、a newspaper wrap*4は企業メディアが共有しないであろうニュースを広く喧伝する。ちょうど、(襲撃にあって)破壊された企業の窓ガラスが、たとえお偉方が何を言おうとも資本制下にあってはみんなが幸福というわけにはいかない、ということを証明するように。



直接行動は、必然とみなされている社会的与件と肉体的条件が、実のところ、変更可能な代物だということを証明する。たとえば、無許可の路上パーティーは商店街を自由で、祝祭的な空間へと変容させるが、それはどんな空間の機能であれ手に入れるのは簡単だということを示している。直接行動は傍観者にも参加者と同様の機会を提供することで、人生をより予想のつかない、魅力的で刺激的な――あるいは少なくともユーモアのあるものへと変えることができる。例によって、商業は抑圧的かつ圧迫的なものであるから、単純にこれを妨害することは全体への奉仕となるのである。



(当該の行動が)一般的であるか否かに関わらず、直接行動はニュースや私的な会話において重要な論点であり続けている。サボタージュそれ自体を人々が受け入れようが入れまいが、環境破壊的なダムへの妨害工作サボタージュ)はそのエコロジカルな効果を提起できる。直接行動は政治的かつ社会的な手段を実行グループに与えることができる。1980年代、退去命令の脅威に直面したドイツのスクワッターたちは、執拗で破壊的な直接攻撃のキャンペーンを展開してその力を示した。結果、アムステルダムはオリンピック誘致の入札権を失うことになり、彼らは(スクワットハウスの)市当局との売買交渉で有利を得ることができたのだ。直接行動は抑止力を提供することができるのである。シアトルにおけるWTO会合期間中の抗議行動の後で、カタール以外は次のWTO開催国になろうとしなかった。普段なら政府が戦争に向かうのに反対しない人々であったとしても、商業に大打撃を与え、日常生活を脅威にさらす大規模な抗議行動への引き金になると理解するなら、戦争に反対するだろう。



直接行動は経済的損失という制裁を課すことで犯罪的な企業を妨害することができる。アニマルライツ活動家たちはヴァンダリズム、執行妨害、ピケ張りなどの手段を使って、いくつかの毛皮企業を廃業に追い込んだ。直接行動は、凶悪な組織に対して、(彼らを)暴力と騒動に対する公衆の意識へと接続させることで、その信用を損なわせたり、活動不能に陥らせることができる。

もしも毎回、会合を目的としたレイシストどものパーティーが街頭の暴動で終わるなら、どこの都市でも連中がおおっぴらに会うことを許可したがらないだろうし、彼らの隊列に加わろうとする改宗者もほとんどいなくなるだろう。直接行動は敵対者を追い詰めることもできる。敵を説得することやあるいは少なくとも共存することが出来ない場合、挑発と妨害のキャンペーンを展開することで、(敵を)彼ら以外の全員から孤立してしまうような過激主義へと追いやることができる。



直接行動は出来事の雰囲気を設定することが出来る。もしも、連日のように横断幕が翻り海賊放送が放送されるなら、週末の企業取引カンファレンスとアナキストによる(それへの)対抗デモは歴史的なものになると全ての人が予想するだろうし、こうした予期はそれ自体を真実にするのに役立つだろう。直接行動は他人たちが流用することが出来、また自分自身を利用するような戦術を実践できる。危機的状況において突然にすべての人にとって欠くべからざるものにならない限り、これらの戦術は小さなマイノリティー(集団)としか関連を持たないだろう。(けれども)危機的状況においては、すでにこれらのスキルを身につけ実践している者や、それ以外の、少なくとも耳にしたことのあるもの全員にとって状況は有利になる。



動物解放闘争においてのように、直接行動は生命を救い、また不正と直接的に衝突することで、(行動に)従事する人々に尊厳を取り戻させることができる。それは、倦怠と失意と不能性を治癒しようと活動している人々を手助けする、セラピーの最良の形式でもありうる。何もしなければ、すべてが不可能に思える。(けれども)一度、何かをし始めるなら、その他のことも可能だと想像し、起こりつつある好機を捉えることはより容易くなるのである。



直接行動は、当然にもそうあるべき人生の経験としての確信と欲望を利用する機会を与えてくれる――こいつについて、単に考えるだけとか、お喋りするだけなんてのは止してくれ。お願いだから、口論なんてしないでくれ――実行するんだ!*5直接行動は傍観ではなく行動するという健康的な習慣を取り込んでいく手段だ。行動へと流れ込むことを許すような衝動すべてが、魅了されること(魔法をかけられる?)と似たようなものである。*6この受動的で麻痺した社会にあって、我々は我々自身のうちに参加と遂行の習慣を是が非でも養う必要があるのだ。

*1:原文はconvert others to a position〜。改心とか改宗とか転向とかそういうニュアンスの言葉らしい。日本語で「転向」だと意味が限定的なので改心としておきます。

*2:辞書とか探しても載って無かったのでテキト―。十中八九間違い。原文は(be) dumpstered

*3:全然関係ないけど、以前mojimojiさんからトラバうけて飛んでみたら、先ず前置きで「落書きは嫌いであるが」的なことが書かれていて、最近はアナ系=落書きする人なのかしらと妙に感慨深かったのを思い出しました。

*4:D.I.Y的戦術の一つ。委細は詳しい人に聞いてね。誰かは知らんけど。

*5:もちろん、原文はDO IT!

*6:テキト―。原文は〜 is a spell cast for more of the same. 良く分からん。