てろてろ一神教


しかし、まあ行政官僚がテロルの対象と認識されてこなかった国家ってのも珍しいでしょうな。*1陰謀論大好きっ子としては大層ステキなオチがつくことを期待しているわけですが、それ以前に何時になったらUFOを追いかけてFBIの人が来てくれるんでしょうか。というか、厚生労働省の職員コメントが哀愁を誘う件の出来事ですけれども、あれが背後関係を持たない単独の個人的理由からの犯行だったらどうするんだろうか。テロテロって大騒ぎしたあとで又ぞろ、言い訳がましくテロルは個人的なそれも含まるとか聞いた風な寝言を垂れ流すのかしら。まあ、でも、個人的怨恨とかによる犯罪をテロとは呼びにくそう。社会的政治的理由と接続すると途端にテロルになるのかな。公衆の治安を脅威によって恐怖せしめることをテロルと呼ぶなら、一体にどれくらい多くの犯罪や事件がテロルになってしまうのかね。

うーん。どうでもいいや。さて、本題に移りますけど、エコロジーつか「エコ」的な価値が今や巷では大流行みたいで、要するにこれからはエコ資本主義かよ糞ったれというそれだけの話なんですが、あれが受け入れられている側面つーのは別に人間と自然の調和みたいなお題目の部分ではなく、単純に資源の囲い込みであり、希少性と有限性の保全であり、ブロックされた閉鎖的な世界で限られた富を占有しようとすることへの期待でしょう。農村的な閉鎖的共同体における怨恨と恐怖の感情の淵源は限られた富という概念だって海の向こうの学者センセイが仰ってだね、まあ、憑きもの筋の研究だと割合ポピュラーな認識みたいなわけだけれども、どっちかつーとコレだよね、要は。自然環境と調和した生き方だの、抑制された経済活動による環境への配慮だの、そういう話ではないでしょう。まあ、例によってヤポネシア帝国臣民にとってのみそうであるかどうかは不明だけど、エコ=節約とくっつけて単に不況下での心理的圧迫(今は不況だぞ、ってアレな)を代理させているだけの今現在の有様を見ていても、受け入れる発想ってのはきっと自分の生活実感の中で――要するに資本制の影響下を相対化させることなしに――日々受け入れていく無自覚で動物的な慣習に由来する価値だけで、あとの諸々の調整は官僚的に行政が制度化するだけつー何時ものパターンで、そのうち気がつくとエコロゴジーは単なる希少性を求める経済的合理性の一つの現れでしかありませんでした的なオチになってそうね。二酸化炭素云々とか温暖化とかって言うけど、で、実際のところ環境問題は絶望的なあり様という話もあるけど、それにしたって尻に火がついて何か始める時には要するに又ぞろプライオリティーとか最大多数の云々とか繰り言を使って、分断と排除を進行させていくだけってことなんだろ。ゲーテッドコミュニティーと同じ発想でしょ。違うとすれば、ゲートの外に放り出されるその他大勢まで内側の利益をはかろうとしている辺りだけど。

で、薄々放り出されることが分かってるから大騒ぎしてるわけでしょう。国籍法云々だってその辺りが理由なんじゃないのとか思うよね。だって、あれは要するに国民国家的な同一性を変容させる第一歩でしょう。国家は無くならない。国民も消えはしない。象徴も同一性も権力も、何も廃棄されはしない。でも、多くの国籍保持者がそれだけで自分自身の同質性と同一性――わけても「家にいる」という表現に代表される安心や安全に含まれたそれら――維持できた<国民>と国家の関係は終わろうとしているみたいだよ。だから、生活の具体的な困難さを伴った生それ自体に対する不信感が、他所者に盗まれた本来享受するはずの恩恵という形を纏って現れてるってだけでしょう。で、皆でしかつめらしい顔して「不況だとか」「閉そく感が」とか馬鹿の一つ覚えみたいにうわ言吐いてるけど、君ら、そんなものに巻き込まれて詰まらない同一性を担保したところで何もならないのは先刻承知でやってるんですか。だって、この同一性つーか一体感って何も解決しないよ。それどころか、君らだってよく知っているようにこの一体感がそれ自体で管理や抑圧の強化を正当化しているわけでしょう。あるいは、給与だって設備だって情緒的関係だって何でもいいけど、そういうものが事実に由来する困難さによって擦り減らされていくのと同時に、意識や諸感情によってもそうなるというのが本当のところじゃないか。自分たちの行動や手段の根拠を外的な運命としての「不況」とやらに仮託して、以て強迫的に受容するよう有形無形の圧力をかけるわけでしょう。で、挙句の果てに皆で仕方ないとか言って慰め合うなんて、一体どんな間抜けなんだい。金がない金がないって大騒ぎして、貧乏人までその緊縮財政においては挙国一致的に協力していくのが筋だとでもいうかの如く、自主規制的な抑圧が徐々にその圧を増大させていっているようですけれども、経済的軍事的政治的な強制力を担保する部分、わけても警察力と軍事力に対する予算についてはちっとも熱心じゃない癖に、翻って社会保障だの福祉だのといった分野は当然のように切り捨てるという心性はそれによって利益を得られる層にしてみればそら合理的でしょうけど、福祉や保障を必要としない資産家がそんなに大勢いるかというと勿論そんなことはないという。この期に及んで国家とか日本経済とかそういう愚にもつかない絵空事にうつつを抜かすのであれば、それは自分たちの利害関心がちっとも現実的ではないお花畑だと告白するようなものなので、階級脱落分子ならびにアウトカースト扱いの貧困層の諸賢諸氏はもう少し恥じらってくださることを心から願います。本来、自分の食い扶持を増やすために持てる者から供出させるのは実に正当な行為ですし、合理的な選択であるはずです。連中は言いますね。個々の貧困に対策したところで経済的効果は望めないし、経済的基盤を賦活させるような制度的改革や投資こそが優先されるべきだと。難しい字を使えば我々が頭を抱えて混乱してしまうだろうとか思ってるわけだ、あのダボどもは。まあ、それはいい。いや、まったく良くない、それは良くないが、そんなことより連中の弁によると経済的な上昇が可能となり、それが持続的に維持され財政基盤が安泰すると我々貧乏人どもの生活も良くなるということらしい。素晴らしい。だからどうしたんだ、馬鹿。そんなものはコップを落としたら割れましたみたいな話だろ。ああ、あれか。国家の社会保障を切り捨てるのが必然だとすると、国家機能から国民への配慮という部分をオプションになるってことか。つまり、連中は我々に忍耐と服従を呼びかける道徳的説教の陰で価値それ自体の改変を担保する制度的枠組みを構築しようとしていると。良い子にしてれば<恩恵>を施してやると抜かしているわけだ。で、君らはいつもの如くそれほど期待しないようにして自己防衛を働かせつつ、一縷の望みをかけて好景気の恩恵とやらを待っているのかね。それは不条理だよ。大体が連中にしろ、君の両隣の他人たちにしろ、約束だの配慮だのってのはこちらの対応ひとつでコロコロ変わるわけじゃないか。それも、良い顔して遠慮してたら単に都合よく忘れ去られるだけで、物事を守らせるためには専ら威嚇や脅威によることを真理とみなす君らにしてみたら、常に圧力をかけたり、攻撃をしかけたり、要するに相手を圧迫するあらゆる手段を合理化することを何故ためらうのか、ぼくには分からないね。それともあれかね、職場みたいな空間を自分のそれ以外の「私的」世界の中に持ち込みたくないとでも言うのかね。馬鹿らしい。君が持ち込もうがどうだろうが、すでに連中が手をつけてるし、だからこその君の貧困と困難じゃないのかしら。

何事も実力を伴う抵抗の意思表示なくしては、対等なものとして扱われないというのは保守反動の方々にしてみれば常識的なことではありませんでしたっけ。たとえば、選挙制度だってそう使われるのが本来で、あれは大して期待もしないが、意に沿わない振る舞いをするならぶっ壊すぞという脅しと実力行使があって初めてまともに機能する代物でしょう。たとえば、今日のヤポネシアにあって自民党政治を終わらせることは相変わらず意味を持っているようだから、投票するなら連中を落とすことだけに専念するべきだし、かといって投票した候補者やら政党やらに何かまともな期待などする必要もないし、ましてや民主党オルタナティブとしてどうこうなんて凡そ下らない話です。そうではなくて大切なことは気に食わない損害をもたらす馬鹿を権力から遠ざけようとする手段と認識して、他の多くの影響力を行使できる手段の補助と考えるのが真っ当なふるまいですよ。中身なんて変わらないんだから。でも、連中が何かを――どんな腹積もりでかは措くとして――やらかそうとしていて、それが有用だと思うのなら大いに利用すればいいけれども、ある限度を過ぎれば利用ってのは加担と変わらなくなるし、利用しているつもりが単に他の手段を投げ捨てていたなんてこともあるから、選挙については真面目に捉える方が愚かです。現実主義を標ぼうされる方々は、もちろんよくご存じでしょうけれども、実力行使と威嚇の二つの側面を伴う手続きなくしては交渉もままなりませんし、足元を見られてしまうのがオチです。

*1:テロかは不明だけど、まあテロでいいや