もうひとつ、お知らせのようなものがあった。

さて、はてな村内務人民委員部のチェキストが日曜あたりに何かやるらしいので、とりあえず場の空気を壊すべくケッタイなミニコミ誌でも作ってやろうかとか思ったけど、時間がないからフツーにコピー+ホチキス止めのぺライものになりそう。というか、わざわ作るモチベーションが沸かない。

まー、ろくでもないものが出来るといいナー。間に合えばな。

あ、でも土日は愉快な催しものがあるんだっけ。今週はどうなの。先々週だったかな、例のタコ禿問題が起こった日につくばかどっかでこないだの釜ヶ崎の報告会があったんだけど、いつもの如く起きたら夕方というジレンマ風の何かで行けなかったので、そろそろ街に出たい。いや、報告会は別にデモじゃないから通りには出ないよとか言うのはナシで。

まあ、デモもね無許可でいいなら幾らでもその場の気分でやれんだろうけど、一々デモとか面倒だし、往来で声上げようがノボリ立てようが旗振ろうがどうだっていいじゃないか!それともバックプリントに政治的文言が含まれてたらそいつはデモやってるのかつー。

あ、そういや、学生の頃って何かって言うと理由つけて酒飲んでたけど、あの「じゃあ、酒を飲もう」という論理は大切だと思うな。そういうわけで、デモをしよう。みたいな。逮捕されたと聞けばデモですし、更迭されてもデモです。誰かがクビになればストです。眠ければサボりましょう。デモとストとサボタージュは日常的活動です。非日常的活動は暴動ですが、北米のまっ黒系の人たち曰く革命のための穏健な社会的活動を蜂起というらしいので、どこまでが日常でどこからが非日常かなんてことは気にしても詮なきことです。祝祭は大切ですし、日々の労働の憂さを晴らすのは大抵は良いことですけれども、文脈を自分で作ることが求められる場合には最も日常的な生活空間に根ざした活動形態の開発或いはその接続が求められると思われるので、ここはひとつ持続可能な社会ならぬ持続可能な暴動をば招来するがよろしかろうと。持続可能って素敵な言葉ですよね。永続暴動。

何か他におもしろげなイベントがないようなら、手伝いでフリマに行こうと思ってるんだけど、そうすると今度は手ぶらというのも癪だなー。どうしようかな。一番良いのは都内で大騒ぎが起こることでしょうか。