平日だと都合がわるい人が多いのではないかとか思ったけど、フツーの人は19時に体空くもんなのだろーか

坂道ではない真っ暗な帰り道をトボトボ歩いていたら、唐突に思いついたんだけど、労働って借金のカタにサラ金の取り立てをするのと大して変わらんよね。なんつーか、借りた金を返さないのは不正であるという極めて真っ当な「常識」をアリバイに、現実的な脅迫としての借金やら負債やらによって駆動され、自分と同じような人間たちを追いたて傷つけるという。問題は抽象的規範としての常識と事実としての脅迫が単一のものであるところかしら。

それはそうと、ローゼンハウス見学ツアーが官憲の弾圧により逮捕者三名を出す事態に至った件でお知らせがあります。あのクソ悪人面の大根役者ん家がどうなろうが俺の生活とは何の関係もありませんが、我らが友人たる貧乏人がポリ公に拉致されるなどというのは端的に間違っているので、これを是正しなければなりません。あー理由?犬にでも食わしとけばー?間違ってるものは間違ってんだよ、ハゲ。

とはいえ、理性と情緒の二つを共に分かち合う皆様方は今回の件が不正であり、無法で悪質な振る舞いであることをよくご存じかと思われます。警察がガイキチであったとしても、逮捕された人間たちの愚かさが帳消しになるわけではない、とコメントされている御仁がいらっしゃいましたが、それを言うなら欠点や負の評価を理由に他方の不正を帳消しにするような幼稚な自己瞞着こそが愚劣さの極みというものです。ところで、我々は何が正しいかを知らなくとも、何が間違っているかは分かりますし、何が正しくないかを知る人は物事の道理と事実を一致させるよう努めるものです。さて、どうやって?

というわけで、以下、転載。まあ、このブログをわざわざ読みに来るような奇特な人には周知の事実だろうけど、一応、な。



// でてこい3人! でてこい麻生!! //
              麻生邸リアリティツアーの不当逮捕に抗議する集会

○日時:11月6日(木)19時〜
○場所:総評会館203号室(千代田区神田駿河台3−2−11 TEL03−3253−1771)
○交通:地下鉄東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」B3出口すぐ。東京メトロ丸ノ内線淡路町駅」B3出口徒歩5分。都営地下鉄新宿線小川町駅」B3出口徒歩3分。JR「御茶ノ水駅」聖橋口徒歩5分

■ 主催:麻生でてこい!! リアリティツアー救援会 ■

連絡先:asouq@sanpal.co.jp
blog:http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/

 10月26日、反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉のプレ企画である「リアリティツアー2――62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見」において、3名が不当逮捕されました。現在、3名ともに10日間の勾留がつき、いぜんとして身柄を拘束されたままでいます。わたしたちは、警察によるいわれのない弾圧に、はげしい怒りを感じています。

 しかし、世の中に無数に存在するツアーのうち、なぜこのツアーだけが妨害されたのでしょうか。いまわたしたちの身のまわりで生じている「格差」「貧困」は、あきらかに政権与党の政策に原因があります。小泉から安倍、福田にいたるまで、政府は金持ちを優遇する一方で、貧しい人びとを切り捨てる新自由主義政策をすすめてきました。麻生内閣も、従来の政策を変更するきざしはまったくありません。

 最近の報道では、土地だけでも62億円といわれる大豪邸に住み、射撃や飲食にいそしんでいる麻生首相の浮世ばなれした暮らしぶりが報じられていました。ツアーは、そんな人物が「格差」「貧困」の問題を解決できるのか、大豪邸をこの目で見て、話をしてみようという趣旨のものでした。警察は、このような趣旨をもったツアーを意図的に妨害し、不当逮捕を行ったのです。
 わたしたちは、警察の非道をぜったいに許すことができません。ありもしない罪を着せようとしている警察に断固抗議し、3名をすぐに釈放させるために、ぜひいっしょに声をあげてください。

 3人を返せ。「格差」「貧困」を作りあげてきた責任者であり、今回の警察の不始末の責任をとるべき立場にある麻生太郎首相はここへきて応えろ。
 でてこい3人! でてこい麻生!!


いじょー。まあ、「歩く」という行為に政治性の捨象を見るような認知それ自体が欺瞞だということに気づかない方々は、政治的な弾圧(それは明らかです)と訴えられば評価を変えたのかもう一度自分自身に問い直して頂きたく思われます。(デモとして)届け出ていない以上はデモではありえませんし、その実、法的な定義上のデモがオマワリの恣意的な判断に依拠している以上は、今回の事例は「歩いている」としか表現しようがありませんし、大体が歩きながら何かを訴えてはいけないなどということそれ自体が認める筋合いのないものであると思われます。法律てのは出来事に適用されれば何時でも判断の余地がありますし、すべてを(内実としての)目的に照らし合わせて合理化しようとすれば、いきおい官憲の判断を裏書きしただけで終わるということくらいは公共を云々して憚らない皆さま方もよくご存じではありませんこと?というか、一番の疑問はだな、政治的であったらどうだってんだ、馬鹿つーあたりでしょうか。政治的なものは須らくお伺いを立てて許可を得るべきなんですか。今度の件はオマワリの判断それ自体を批判してんだから、どこをどうやっても『歩いてる』でしかないんだよ。ハロウィンのコスプレにも難癖つけるのがマトモな法治国家と思ってるようなファシスト様方にはおわかりいただけないことかと思われますが、人間の行動は自由が基本であって、規制の方が例外であるべきなのです。