読みかけの本とかから適当に思いついたこととか。


いや、忙しくないはずなんですけどね、なんだろうね、この時間が足りない感は。要するに読みスピードが遅い→考えをまとめる時間を確保できない→次々に情報だけが素通りしていく→焦燥に駆られてさらに思考が拡散する→労働で分断される→休みになると突然何を考えていたか忘れる→ブルーマンデーみたいな無間地獄コースなだけなんですが。


まあ、それはそうとして、外国人労働者の問題というのが昨今喧しいわけですが(例のオモシロ行政機関"移民庁"とかね。んなことより今いる滞在者に居住と労働の自由をよこせとか思うけど、そもそも、単独で設置したらしたで法務省の入管権益とぶつかるから難航しそう。あ、でも当然、法務省管轄か)、それはさておき、外国人労働者の権利とか福祉とかいう話になると水準を普遍的な"人権"のレベルに引き上げるか、そうでなければ内外人平等の原則みたいなものを立ち上げるか、あるいはお頭の沸いた人たちを黙らせるためにシステマチックかつプラグティックな法―行政制度上の実務の話として進めるか、みたいなことになるわけですが、最後のものに関しては当たり前だけれども語られることのない前提としての目的が偽装されて仕込まれているので何ともアレな気分になるし、かといって最初のやつで行くと絶対、日本国籍を有する周縁労働者(まあ、要は貧乏人だよ)の待遇との兼ね合いで面白おかしいナショナルな物語を持ち出す馬鹿が出てくるわけで、じゃあ、真ん中はどうかというと実はこれが一番厄介。というのも、国民国家の原理原則がどうこうとか社会的プライオリティーの問題がどうこうとか言う以前の問題として、日本国籍を有しているというだけだと大して良いことがないつーか、よくよく考えると労働者の権利とか最低限度の生活水準とか社会保障の領域に於いて本来的に主要な対象となるはずの国民にしてからが既に、というか大昔から社会的コストをなるべくかけない感じで適当にネグレクトされているのが本邦なわけで、最低賃金とかみても分かるけど、あれ、別に独立した生活ができる最低限度の賃金設定ではなくて、そもそも他の経済主体(世帯を構成するとかね)の収入とか基礎的インフラとかがあってはじめて何とか暮らしていける額で設定されているわけで、君らどんだけ馬鹿にされれば怒るんだ的状況だし、あれらしいですよ、在宅介護とかで働く人たちは労働基準法が適用されないみたいですよ素敵ですね的現状にあって、外国人労働者の人権がどうとか言ってもそりゃあ話は通じませんよね。つか、単なる労働者にとっての<日本人>てな条件はどう考えても普通の意味でのナショナルな主体に付与される諸々の権益からはほど遠いというか、実態として利益を供する主体は(たとえ同じ人間が分有するものだとしても)どっちかというと社会内に設定された諸々の集団であって、個人はどこにも居ないし生存自体が許されてないつーか、個人になるとホントに社会的に何の恩恵も享受できないというか、いや、そりゃ色んな制度的な恩恵はあるけど運用実態を見ていくと個人を想定している制度って微妙にスポイルされてませんかね、家族が存命の場合は生活保護受けさせないとかさ、ああ、あれか要するに中世的な意味でしか自由は認められてないから、個人になると文字通りフォーゲルフライかよつー。まあ、平たく言うと貧乏人は既に常に<外国人>(余所者、追放者)、みたいな(金があれば生活に必要なインフラとかサービスとか購入できるでしょ)。


まー、ほら、社会内での統合を巡って、マジョリティー集団との間に摩擦が起こってどうこうとか良く言われるわけだけれど、そういう時に左翼な人は普遍的人権に訴えたりするし、低所得層と周縁労働に従事する移民労働者の間での衝突がまことしやかに語られるたびにそれは偽の対立なのであって、本来的には労働者は労働者でしかないとか何とか一生懸命説得しようとするわけですけれども、こと本邦にあってはイデオロギーでも何でもなく、ほんとに<平等>だよね。いろんな意味で。そりゃあ、生活できるだけの保障とか福利厚生とか言い出したら僻むよね、だって元から貰えないのが前提の社会なんだもの。おまけに説教くさいし。つか、社会とか上等なもんあるのかね。