改良か革命かみたいな話をした覚えはないけどな


良く分からないから説明してほしいと書いたら、わざわざエントリにまでしてもらったのでお返事。


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080809/p1


と思ったものの、上のエントリを読んでも何処がどのように繋がっているのかよく分からない。きっと何か理由があるとは思うのだけれども、当該のエントリとそこで言及されている当ブログの8月9日のエントリの関連性がさっぱり見えてこないのでお手上げ状態です。いや、皆きっと分かってるんだと思うけどね。まあ、ケチつけてる態度にむかついたって話なのかしら。でも、そのケチのつけかたのどこら辺が気に食わないのか知りたかったのですけれども。初めから順を追って説明するのもアレだけど、なんつーかアレでしょう。ことの発端は「経営の論理」とやらが世の中のお金の巡り方に関する必然性を規定してて、単なる賃労働者といえどもこの自然の摂理からは免れ得ないから、いくら権利が事実ではなく価値に由来するとしても、どっちにしろ経済のケの字も分からないような馬鹿は落ちこぼれるよ、ていう例の頭の悪いポエムを発表した頭の悪い子がいて、それに対してお花畑に住んでるのはお前だけだから余り人間様をなめるな的脅迫が加えられたっていう構図ですよね。今回のは話ってのは。で、別にそんなことに関わろうが関わるまいが碌な生活も送れない現状が変わるわけではないとはいえ、一応人様の行動に対する判断は言葉で表わされたものでしか他人と共有できないのも事実なので、それなりに気をつけて考えないといけないというのは認めるに吝かではありませんし、おいそれと馬鹿の戯言を受け入れる土壌が出来てしまっている場合には然るべき批判というものは必要でしょうし、たぶん無いよりは有った方がよろしいのでございましょう。大体、かかる批判に伴うコストや損失というものが大したものでない以上は、ゴミをゴミと敢えて言明されることは成程マシなものを世に置くことになりましょうし、それを以て功徳と思し召して、日々の善行を積まれるのは各人の自由でございますし、なにより一等よろしい振る舞いかと存じ上げますけれども、同時に精々がより悪いものと比較してマシでしかないものを以て終わりとするのなら、それは不十分であるものを十二分なものと誤認させることにつながりましょうし、しかもその内実が純粋に専門的な領域に関わる単なる知の問題であるならまだしも、人間の実体的な利害と生活と生存と密接に関連するところの社会正義やら公正といったお題目をそれとなく忍び込ませて、いたずらに両者を混ぜ合わせてしまうような真似をするのなら、その時はかかる欺瞞を指摘するのが筋というものかと思われますがいかがでございましょうか。


とか、書いてみたんだけど、いや、やっぱり何を言いたいのか分かりません。うーん?俺が書いたことってのは、<正しさ>に関して限界とか包括的な全体像を予め用意して、個々の具体的な行為や主張をそこから推し量って判断するわけだけど、権利ってそもそもその権利者の利害関心を反映させるためにあるんじゃなかったかしら?大体、皆のためとか社会のためとかいうエクスキューズがないと行使できない権利ってどんな?みたいな話なんですが。少なくとも主観的には。まあ、そうは読めないっていうなら具体的にどのあたりがそうなのか指摘してほしい。

建前であれ公理であれ「労働に対しては正当な対価を要求しうる」という常識を肯定する立場で搾取されたいくばくかの金銭を勝ち取りたいと思い交渉しようとする人に対して、頭ごなしに揶揄的態度を取るのはいかがなものか。

搾取されたいくばくかの金銭を勝ち取りたいと思い交渉しようとすることに、「絶対的な価値としての、人間的な市場経済とか公正な労使関係とか現実的で妥当なモデルが存在」しなければならないししているという思想は必要ない。「労働に対しては正当な対価を要求しうる」というブルジョア的建前が法的に存在しているという事実だけで充分である。


と、いうのがコメントの直接的な理由と考えてよろしいのでしょうか。さて、しかしながら、件のエントリにおいて僕は組合交渉であれ、あるいは個人による労使交渉であれ、そしてまたそれが法に規定された交渉権に由来するか否かに関わらず労働者が経営者ないし雇用者に対して交渉することを否定した覚えはありません。


何故そのように思われたのかよく分かりませんが、労働者たる当事者が自らの利害関心に基づき利用可能な手段を行使して、その目的を追求することは真っ当なふるまいですし、他人に一々釈明したり弁解したりする筋合いなど少しもないと思います。


労働組合という組織形態、あるいはその活動の形式それ自体には一定の限界があり、組合の確保した事実としての権益故に労働者の立場如何*1によっては双方の間に抜きがたい敵対性を構成する可能性もあるだろうとは思いますが、だからといって、労働組合を通じた組合員の福利厚生の拡充やその事実となった/あるいはそう期待される<権利>の維持という活動それ自体が原理的に意味を失っているわけではないでしょうし、また、搾取それ自体と混同しようはずもありません。労組という一般化された意味での一つの組織形態と、現実に存在する個々の労組の具体的な問題点とが同じであるはずもありません。


ついでに言えば、これらの事柄は少なくとも私にとっては政治的な主義やら信条やらの問題ですらありません。組合活動が純粋に日常的経済的要求に留まろうが何だろうが、組合が当事者たる労働者(組合員)の生活に資するのであれば、それは大いに利用されてしかるべきだろうし、それが規範化を生むとか、あるいは既得権を作りだすとか、従って選別と排除が行わるとか、組合それ自体が特殊利害を持って組合員個人を搾取するとか、そうした理屈の問題は成程現実のものとなれば理非を問わずには済まないでしょうが、いずれにせよ歴史的に勝ち取られてきた諸々の権利としての/事実としての諸々の待遇や権益があり、あるいはそれを可能たらしめるための集団的制度的枠組みがあり、利用可能で有効な道具立てがそこにある以上はそれを使用して自己の利益を確保するのは自明な行為であるでしょうし、それについて一々予め正しさを云々する方が奇妙です。ましてや、全体的なものとして想定された基準を当該の利害関心をめぐる行動に当てはめて、その適正さを推し量るような真似を何故当事者たる労働者がしなければならないのでしょうか。つまり、一般化という枠組みの中で考える限りでは、組合が組合員たちの利害関心を現実に反映するための道具となりうる以上、それは良いものですし、正しいものです。


賃金の高低であれ諸々の待遇改善であれ、あるいは雇用の確保であれ、自己の利害関心に基づいて己自身に配慮することは当然の振る舞いですし、法や行政上の制度的枠組みの価値は当該の枠組みが事実に対して正当なものと看做す基準を提供することにあるのではなく、それが実際上の運用において事実として当事者の利害を反映しうる限りでの有効性であるに過ぎませんし、その際の当事者自身にとっての自らの正しさは権利として措定されているか否かに関わらず既に常に己自身に対して持つところの正当性なのであって、これを他人に認めさせうるのはそれが客観的に公正で適正なものであるかどうかではなく、一つには集団的な価値の共有であり、またその価値を事実に書き込むところの力であり、そうであればなおのこと他人たちに対して正当性を確保できる道具として法的枠組みの中で確立された諸権利の行使とそれを可能たらしめる集団的組織的活動は如何にも有用であり、また重大なものと思われます。


申し添えておけば、労働に対して「正当な」対価を要求することが不当だなどとは微塵も思っておりませんし、どのあたりがそのように読み取れるのかも良く分かりません。問題、あるいは異議は以下の点にしかありません。すなわち、労働の対価が「正当」であるかどうかを判断するのは当事者たちであり、またその価値を共有したり共感したり連帯したりする友人や隣人や赤の他人たちであり、予め定められたところの正しさであるとか、一般的かつ普遍的な正当性とか、あるいは既にあると考えられた全体=社会の利益とかいったものを前提として持ち出すことは必然的に当事者をオミットしていることになりますし、権利を行使するのは常に個々の集団や個人であるのに何時も全体を優先させるのであれば、一体<権利>とやらを真面目に捉える必要がありますか。そんなものは当事者たちが守らなければならないものでもないし、彼らの行動を彼ら自身が決めるにあたって考慮すべき事柄でもないだろうし、ましてや道義的必然であるかのように押し付けられる筋合いはありません。


ああ、てかな、良い経営だとか適正な市場とか寝言はどうでもいいから金(飯)寄こせ、馬鹿。て言えないようでは権利とか意味あるんですか?つー話なだけです。

まあ、労働云々の話なら、どっちかといえば、雇用をどうこうみたいな話ではなくて、失業しても適当に生きていける社会の方が良い社会だと思いますよ。雇用なんてどうやったって限界があるわけだし、何がどう転んでも俺みたいのは一生賃労働で野たれ死になわけなので、ケイザイがどうこう言われても知ったことじゃありませんな。あと、勝手に良い社会とか幸せな世の中とか決めないでください。みたいな。


ああ、そうだ!ついでだから、もっと難癖つける箇所を見つけてきたよ!労働力を売ることは労働力販売事業で、mojimojiさん的にはその顧客は経営者らしいけど(まあ、古典的には労働力くらいしか売るものがないので労働者なんですがー。でも、じゃあ、個人事業主なのかよ、つー。)、そういうたとえ話にすると「消費者」って観念が介入すると思うよ!で、消費者様が一等偉い世の中的には非難轟々になるから、ここは開き直って名実ともに極悪な商売をするといいと思う。

*1:非組合員の利害と組合員あるいは組合の利害が対立するなら労組は当然後者を選ぶでしょう。あるいは組合全体の利害の規定の仕方によっては――たとえば業績不振に陥った企業における組合はリストラに賛成してしまうかもしれません――末端の構成員が犠牲になるかもしれません。原理的には抵抗すべきでしょうし、あるいは何らかの補償を求めるべきですが、現実的な問題としては再就職先の斡旋であるとか退職金の拡充といった措置それ自体が難しい場合だってあるわけです。