立場はいろいろ、運動もいろいろ。

madashan2008-05-19


(追記0522:適当すぎるエントリの所為で引用元の記事を読んでもらえないのもナニなので色々と修正しました。)

いい加減、メモしたことを実行に移さなければと思い至るも、そのネタ探しに雑誌をパラパラめくっていたら、ちょっと面白い記事を見つけたので今日はその話をすることに致します。言及元の記事は、普段生活している中では触れることがないうえに、調べようにも当事者に会うチャンスが中々ない、運動主催者(?)による具体的な運動=動員の実態について語っており、抽象的でおおざっぱな政治空間しか認識しないで物事を判断している人たちには、物事の厚みとか内的緊張というものを理解する一助になるのではないかと思われます。


※ ※ ※ ※ ※ ※


お題は「アナキズム」誌第七号に掲載された「対立の作法」という記事について。

さて、著者*1は当時、「しないさせない!戦争協力 関西ネットワーク」で活動しており、肩書上は市民隊列の人間ではあるものの「そういうのが居心地の悪いタイプの、自らを「有象無象」と名乗るような種類の諧謔を好むような連中」の一人であり、彼は運動における「主な努力を、この集団が占める位置を、運動全体の中に位置づけよう」としてきた。彼は、大阪で活動している。したがって、運動の事情などもローカルなものでしかないのかもしれない。とはいえ、そこに見られるコンフリクトは多分、運動体を大きく多様なものにしていく中で必ず出てくる類のものでもある。著者が語るのはこの「ネットワーク」の運営に関与した過程で現れた運動内部の様々なコンフリクトについて、である。

「しないさせない!戦争協力 関西ネットワーク」は、そもそも有事法制反対運動の枠組みとして呼びかけられ、それがそのままアフガン戦争・イラク戦争の過程の中で、関西の反戦運動の中心を担っていくようになった。*2


この枠組みの内実は左派労働運動+市民運動(+党派活動)というものである。しかし、類まれなる予知能力をお持ちのはてな村反動家諸氏が鼻息を荒くするようなことが、ここでの問題なわけではない。彼は言う――むしろ、責任ある立場に置かれた活動家などは、運動の展開に重点を置かざるをえず、「党派的」に振る舞うヒマもなかったし、そもそも、党派活動家がいなければ実務が回らないのだ、と。


それでは何が問題であったか。それは労働運動と市民運動の相互無理解にある、と彼は言う。

市民運動」とは便利な言葉だ。労働運動でも学生運動でもないものが、「市民運動」と名乗ってしまえば、「お前は市民じゃないだろう」てな文句はあまりつけられないわけで、昨今は猫も杓子も市民運動である。(略)…「市民的」なる、ある種のアマチュアイズムの精神が発揮されるあたりからややこしい。だいたい、「何十年も市民運動やっているおっさん」のどこら辺がアマチュアなんかというあたりがわけがわからないのだが、そおゆう「市民主義者」が「既存の運動」を批判するわけだ。

すなわち、このような、「シュプレヒコールをやるような」「組合動員中心の」「盛りあがらない」「若い人たちが参加しない」行動。このような運動ではだめだ、というわけだ。で、「こんな集会はつまんない」「組合動員で来ている人よりも個人の責任で来ている人の方が立派で偉い」みたいな、「市民運動優位論」みたいなんが台頭するのである。


どこかで聞いた話ですね!

だがしかし、実際に頑張って事務を担いオルグをし、集会を準備して当日きっちり動員して成功させるのは、労働組合なのである。


いったいに「市民」様方は、戦争の初期や事件の記憶が鮮明な頃には大勢お集まりになられるけれども、「情勢が後景化すると、「市民隊列2名」とかそおゆうざま」である。お前らこれは何なんだ、というのがその残り2名の一人である著者の言い分だ。

こうしたコンフリクトをはらみつつも、運動の枠組みは維持され続けた。一方には、労働組合の動員がなければ集会やデモなどには参加しないような層がおり、また他方で市民運動に惹かれるような、労組の運動には近づかない種類の層がいた。この両者を出会わせるような枠組み、ということそれ自体が意識的になされたものである。多くのコンフリクトがあることは予め承知であった。さらに言えば著者らの「有象無象」の人々にしても、周囲と様々なコンフリクトを抱えつつ運動に参与してきた。

その中で、全く、解決も対決も出来なかったというような問題もあった。例えば、一万人規模の集会を準備していた時期である。大阪で一万人と言えば、連合傘下の組合から市民運動から何から根こそぎかき集めてやっと一万人である。実行委の枠組みは脆く、ひと押しでバラバラになるだろうということは見えており、そしてまた、その一押しを待っているような種類の人たちすらいた。(略)

 その中で、私たちの仲間のほうから出てきた問題である。即ち、野宿者の排除に抗して闘っている人がいる。一方で、行政の職員として段ボールハウスを壊している労働者が、労働組合員として(運動の枠組み内に)いる。この両者が同じ集会で知らん顔をして出ることができるか、という問題だ。


著者はこれを最終的に解決できず、運動の枠組みの維持を優先し、自分の仲間を抑えに廻った。結局、この種の対立はついてまわるし、それ自体非和解的でしかありえないだろう。それを何とか生産的な方向に持っていきたいし、また誰かがそれを引き受けざるをえない。として、この雑記めいた記事は一旦締めくくられる

追記で、自治体労働者が野宿者たちを排除した事件が語られる。2007年1月30日に大阪で行われた行政代執行である*3

今年一月三〇日、三五〇名の自治体労働者が靫公園の野宿者テントの強制撤去に動員された。テントは破壊され、大勢が負傷させられ、逮捕者もでた。「階級的分断支配」という簡単な説明では、どうにも説明しきれないのではないかという気持ちがしている。

 彼らは自分たち自身でその行為に参加することを決めたのであるし、階級的に「排除される野宿者」に対する共感は彼らの中から生まれなかった。
 
 そして私はいま、彼らに憎悪の感情を持っている。

敵対は抑えがたい形で現出してしまった。本来、追記までの記事の趣旨としては、運動というものは様々な対立や葛藤を内包しつつも、そのようなコンフリクトによって互いに分岐することでもなく、かといって異端や行儀の悪い部分を排除していくような真似をするでもなく、むしろコンフリクトから生産的な議論を発生させていく、そのような空間としてあるべきだ、というものであった(少なくとも俺はそう読んだ)。

その中で、けれども、どうしても解消することが出来ず仲間を抑えに回るしかなかった確執の一つが、野宿者支援者と自治体労働者との間のそれである。擁護すべきは運動の枠組みの維持であるとしたのが、今度は憎悪という形で敵対性を現勢化させてしまう。

とはいえ、それではこの事態にあっても彼らとの間で、彼らと共に在ることは可能だろうか。これが先ず第一のポイントだ。

運動は、なるほど広範な支持層を見出すべきだろうし、運動それ自体を賦活させていくためには外部の流入と混淆が必要となるだろうから、コンフリクトを孕みつつも、そしてその対立点を排除の形で解消させることなく、包括的で一般的な全体を維持しようとすることは合理的である。けれども、それでは何処までが限度なのだろう?変な話であるけれども、こうした潜在的あるいは顕在的な対立や敵対などというものは何処にでもあるし、また何時でもあったと思う。とはいえ――或いは、であるならば、一体、どこまでの敵対性なら共に隊列を組むことができるだろうか。特に闘争の現場における軋轢であるより遥かに、その外部あるいは過去における労働と運動の対立として現れるような敵対関係にあっては、如何なる共通の指針と尺度を以てすれば限界を設定しうるだろうか。前者におけるコンフリクトは共通のインタレストを見出すことによって解消可能かもしれないが、後者にあってはむしろ斯様なインタレストが分かち持たれなかったということを示唆しているが故に致命的である。



この種のことをネットに出すことが望ましいのかどうか少々思うところがありましたが*4、けれども、変な先入観を持たれて何かと敬遠されがちな運動ギョーカイの内実が分かるのは、それなりに意味があろうと思い記事にしてみました。まあ、皆さん方が普段罵りあい、中傷しあっているような敵対や対立はそのまま運動の枠組みの中にもありますよ、という単にそれだけの話なんですが。だからって、市民運動がダメとか労働組合がイクナイとかそういう単純な話でもありません。


最後の問題はどう解決したらいいのか、当事者でないワタクシ様が考えてもしかたないのですが、少しでも大きな運動をやろうとして、しかもそこになるべく多くの人間たち――普段であれば出会わないような人々を参与させようとすれば何れにしても出てくる問題の一つだろうことは想像に難くありません。彼らは当事者意識があるが故にこそ憤るわけですが、これは全く正当なふるまいで、この事件を経てなお運動の枠組みが維持されているのなら、それは本人たちの決めたことですし、文句などあろうはずもありませんが、内部でどうやって折り合いをつけたのだろうかと思わずにはいられません。


で、この問題に関しては気の利いたことなどいえようはずもなく*5、あー…という感じなのですが、わが身に置き換えてみても、かって大学独行法人化問題というのがありましたが、あの時に学校売り飛ばす方に廻った連中と一緒にデモやろうと言われたら、たとえ今更であったとしても不愉快だし、ましてや住居壊すような真似されたら*6、とてもじゃないけど折り合いなんて無理でしょう。これが教条主義とかセクト主義とか言われるなら、一般市民など滅んでしまえと思います。というか良く考えたら、俺は意味も分からず敷居を低くするよう要求するアホの子より、ゴリゴリのリゴリストの方が好きです。近くに居たくはありませんが。



一方で海外の話、それも反G8絡みなのでちょっと問題の軸が異なるのですが、個人的には良かったと思うことを今更ながら知りましたので掲載。

http://a.sanpal.co.jp/anarchism/mt/archives/000233.html

去年のドイツ・ロストックでの反G8闘争に関しての記事――ハイリンゲンダム・サミットに対抗する闘争が彼の地で展開され、最早定番ともなった「暴動」化が今回も起こった。それに対して、<運動>は如何に対応したか。そして、そのことの意義はどこにあるか。その二点に関して、簡潔明瞭に応えているので先ず一読してほしいと思います。むしろ、このエントリは読まなくていいので、はてな村政治局の官僚主義者たちはURL先の記事を読んでください。それから自己批判をして粛清裁判にかけられてください。名誉回復は死後半世紀してからです。


その当初から、反G8闘争は様々な種類の団体・個人・集団が参加するために、いつも運動内部に分裂を含んでのものとなっていました。分かりやすい、大抵持ち出される話としてはアナーキスト(或いはブラック・ブロック)に冠される、急進的直接行動主義者の投石や放火・打ち壊しといった「暴力」の問題です。ジェノヴァでは死者まで出した大惨事になりましたが、あの時はATTACがブラック・ブロックを挑発者呼ばわりするなどしてコンフリクトが極端に強く浮き出る結果になりました。


さて、思い出話になってしまいますが、確か反G8闘争について知ったのはシアトル戦争あたりで、あの頃は反WTO闘争とか反グローバリズム運動とか言われていたと思います。当時は反グロとか言われても、自分が参加も出来ない海の向こうの大層楽しげなイベントくらいにしか思っていませんでしたが、とはいえ世界的な<運動>ということで一定度の注意を向けて傍観しておりました。そして、<運動>はジェノヴァに至り、警察の襲撃を含む熾烈な街頭闘争を経験しました*7。内部での動揺や対立が漏れ聞こえてきて、どうなることかと不安にかられたことをよく覚えております。


その前のシアトルでの闘争の際にも、同様の「暴力」に対する批判と抗議が出ていて、そして、例によってマスメディアの取り上げ方も過剰な部分をフレームアップするような形でしたから、運動内での突出した部分を切り捨てるようなことになるのかとも思われましたが、その後も敵対の萌芽を抱えたまま<運動>は継続していきました*8。ワタクシ様が偉そうに「解説」できるような事柄でもありませんが、まあ、例によって穏健派市民団体は毎度の「暴力」にぶち切れていたようです。で、ジェノヴァでの一件です。一連の先鋭的な「騒乱」の中で、警察車両を攻撃していたイタリア人の青年が、中にいたカラビニエッリ隊員にゼロ距離から撃たれて死ぬという事件が起こりました。

http://en.wikipedia.org/wiki/Carlo_Giuliani*9


運営母体(?)のジェノバ社会フォーラムに参加するATTACフランスは、事件に対して以下のような声明を出しました。*10

http://www.jrcl.net/framek849.html

ここでの論調は基本的には政府と警察に対する批判という形をとっていますが、「暴力」の行使者たちを挑発分子と位置づけてしまっています。

次に、もはやいかがわしい、とさえいうことのできないイタリア警察の振る舞いがあった。彼らは、「ブラック・ブロック」と称する数百の挑発分子による、準備と武装、実行行為に対して意図的に無視していた。彼らは、しばしば平和的なデモ隊の旗やバッジを、あらかじめ手に入れ掲げていた。これらの挑発分子が、ヨーロッパの治安警察と関わりがないと考えるものはだれもいない。彼らは、全く規制を受けることなく対人的な暴行と器物損壊を重ねることができた。彼らは、GSFメンバーの組織を襲撃することさえいとわなかった。これらの挑発分子と彼らに対する警察の泳がせを弾劾しているGSFに、ATTACフランスは賛同する。ATTACフランスは、これらの姿勢が示している、リベラリズム的グローバリゼーションへの反対者を犯罪者化しようとする企てを糾弾する。

実際、ATTACジャパン周辺をウロウロしている人*11なんかが、これ見よがしに「アナキストどもが云々」とか言ってたりして、部外者のワタクシ様なぞは非常な不安にかられたわけです。彼らが何であれ挑発行為は事実なのだろうか、それとも又ぞろ「急進分子」の排除の論法として使われているのだろうか。このまま運動は分断されるのかしらん等等。要らんお世話なわけですが。結局、対立は解消されませんでしたが、かといって究極的な敵対とまではいかずに、その後も運動はこうした層を含みつつ継続されていきました*12。ある意味では何も変わったようには見えませんでした。けれども、明らかにジェノヴァの一件は尾を引き続けました。<運動>が取りざたされると暗に、あるいは明らかに事件への言及があり、行儀の悪い始末に負えない連中が非難されました。穏健非暴力主義者の隊列は我慢の限界を迎えているようにも思えました。潜在的対立は最早敵を前にしての団結ではなく、そのまま端的に<運動>の限界へと変質してしまうかとも思えました。



さて、その後はワタクシ様も自分の人生で彼是と悩んでおりましたので、一件が過ぎ去り、関心が薄れたまま月日が流れていき、昨年のロストック*13での反G8闘争に至っては存在すらすっかり忘れておりました。あ、そういやサミット今年もあったんだっけ、くらいのものです。大体、沖縄に行く金も工面できない俺にどうやって海外に行けと言うのか。おまけに、近くには馬鹿出来るような仲間もおらんし*14

とはいえ、今年は洞爺湖でサミットがあります。いい加減、参加できるものはなるべく参加しなければと思い、適当に事前情報を集めることにしたワタクシ様は、その過程で去年ハイリンゲンダム・サミットにおいても「暴動」があったことを知りました。アウトノーメンやアナキストたち――急進的直接行動主義者たちは相変わらず好き勝手にやっているようで安心しましたが、けれども<運動>内部での彼らの位置づけはどうなったのでしょうか?で、言及先のURLをクリックせずに終わる人たちが多いと思われるので引用します。

 戦闘の前線でもっとも目を引いたのは、非暴力直接行動派のアナーキスト・オートノミストを中心にした幅広い層の活動家たちの存在である。投石や破壊や放火を実行するミリタントの周囲には、それに数倍するほどの規模の非暴力直接行動派のミリタントが活発に動いている。非暴力主義のミリタントたちは、ブラックブロックの脇を固め、ピケットラインやシットイン戦術で警察の動きを阻止する。武装警察にもっとも肉薄し、殴打されたりペッパースプレーを浴びせられたりするのは、こうした非暴力直接行動派の人々だ。暴動の部隊は、非暴力派の人々に守られていて、さらに集会の全体を統括するATTAC・ドイツのメンバーが、警察を退けるために粘り強く交渉する。そして、労働組合と左翼諸党派が警察に圧力をかけ、反警察の世論を形成していく。こうした様々な運動体による層の厚い連合が、今回の反サミット運動を成功に導いたのである。ブラックブロックは独立で行動しながら、孤立していない。そこには、小さな軋轢を孕みながらも大きな連合を実現しようとする運動諸団体の粘り強い取り組みがあったのである

http://a.sanpal.co.jp/anarchism/mt/archives/000233.html

 6月2日の暴動が報道された直後、運動の一部に動揺があったことは事実である。運動の組織化において中心的役割を果たしたATTAC・ドイツでは、ブラックブロック批判が噴出したらしい。暴動を企てる黒づくめの部隊を連合から切り離すべきだ、という強行意見も出たという。しかし、ATTAC・ドイツは、批判声明を出しながら現場でのブラックブロックとの連合を堅持した。このことの意義は大きい。
 反グローバリゼーション運動にとってブラックブロックは、厄介だけれども畏怖すべき存在として注目を集めてきた。彼らは常に異端視されながら、同時に、多くの活動家から信頼を得ている。なぜなら、彼らはもっとも古くからIMF世界銀行の暴挙を告発し、ダボス会議世界経済フォーラム)の不当性を告発し、新自由主義グローバリゼーションに対する国際的な抗議行動を展開してきたからである。彼らの功績は、運動史的にまったく小さくない。アナーキスト・オートノミストの先駆的な実践が、現在の反グローバリゼーション運動の前史を作ったと言っても過言ではないのだ。そして彼らの実践を特徴づけている直接性、自発性、多中心的なリゾーム状組織、多様性に対する寛容さと連帯感の醸成は、現在の反グローバリゼーション運動の基礎を為しているのである。だから、ブラックブロックをどのように評価するかという問題は、反グローバリゼーション運動全体の定義そのものに関わる問題なのである。黒づくめの若者たちは、運動の異端であるのか、それとも運動の核心にあるのか。ATTAC・ドイツは、この問題に一つの解答を与えた。現在の運動のデモクラティックな性格をもっともよく体現し実現しているのは、NGOでも労働組合でも左翼諸党派でもなく、ブラックブラックに集う名もない小グループなのだ。


――と、いう感じで状況は進展しました。一歩、前に進んだのもしれませんし、単に<運動>の性格が場所と時期に応じて変化してしまうというだけのことかもしれません。けれども、一つの前例・参照項・教訓としての意義は決して小さくはないでしょうし、コンフリクトの生みだした結果としてはある意味で理想的なものかもしれません。ワタクシ様は、なんとはなしに良かったと思いましたことですよ。一番不愉快で、一層拙いのは運動内部の分断を絶対化してしまい、結果的に官憲の弾圧に手を貸してしまう振る舞いです。その点に鑑み、今回のATTACドイツの方針は評価されるべきだと思われます。まー、相変わらずピースコップスの皆様は奮闘されているのかもしれませんが。



さて、上記二つから見えてくるものはなんでしょうか。ワタクシ様は、これら二つのコンフリクトの事例から教訓めいたものを引き出そうとか、ましてや批判しようという気はさらさらありません。二つのものは運動の含む内的分裂や敵対性について教えてくれますが、それ以上の共通性はないように思われます。一方は運動の場において発生した対立点であるのに対して、他方は運動の枠組みの外での活動において持続的かつ潜在的に含みもたれた敵対性です。前者のような解決方法は後者には適用できないでしょう。というより、当該運動の場において前者の如くふるまうことで解決される種類のものではないので、比較したからと言ってすぐさま処方箋を見出せるはずもありません。おまけにワタクシ様は部外者です。あーとかうーとかしか言うことはないのですが、それでもなお何か引っかかるものを感じたのでメモ代わりにここに記載した次第です。

ロストックでは、敵が誰であるかの確認が行われ、その敵対の線に沿った形で、しかも含みを持たせつつも味方を擁護する、という原則的対応が可能となりました。ひとえにこれは、異なる運動体が各々の範疇で正確に対応したこと故のものです。現場レベルでの直接的な防衛から現地官憲との交渉へ至る段階的同心円的な対応があり、さらにその「外部」であるドイツ国内の諸団体(労組や左翼諸政党)が議会政治に働きかける、といった極めて複合的かつ重層的な対応があってはじめて、このような<運動>の統一は保たれたのです。許容と排除の境界は問い直され、新たに位置づけ直されました。

大阪ではどうなったでしょうか。問題は、ここでは分かち持たれた共通のインタレスト、というものが見えてこないことです。動員された自治体労働者たちには、野宿者の立場に対する共感や連帯は生まれなかった、と著者は述べています。確かにこれは分断を許す物言いではあります。けれども、しかし絶対に譲歩してはいけない一線というものがどんな運動にもあり、原則的な立場というものがあります。我々は八方美人的に周囲と同調することはできないのです。敵対は否定的にしか作用せず、限界は現実のものとして設定されています。その後、どうなったかは寡聞にして知りませんが、一時的にであれ共通の利害関心によって<運動>が更新されたのか、それとも元の状態を敵対を包含したまま維持され続けているのか、一体にどうしたらこの種の問題を具体的に解消して生産的な方向性へと進ませることが出来るのか、お頭のネジが緩みっぱなしのワタクシ様には分かりません。

※ ※ ※ ※ ※ ※

今年の七月には洞爺湖でサミットがあります。反G8闘争は、日本ではどうなるのかな。ルンプロ諸兄にあらせられては、もちろん7月の札幌を目指しておられることと存じ上げますが、どうせなら君たち特殊部隊のコスプレとかするといいと思うよ。ガスマスク持参で。

*1:http://black.ap.teacup.com/despera/ この人だと思う。

*2:黒目(有象無象)「対立の作法」(「アナキズム」誌第七号 )

*3:http://kamapat.seesaa.net/article/12655111.html 参照

*4:関係者の方で止めてくれ、という要請があれば本エントリは削除します。

*5:なんといっても、ワタクシ様は運営にタッチするような経験はないものでございますから。勝手に行動する小規模なものなら身近にありましたが、大きな枠組みには一般参加しか経験ありません。

*6:「傍観者」でしかなくとも、野宿者排除は見ていて大層気分が悪いです。で、それを伝えるメディアの論調に触れると、ネトウヨさんよろしく、くそメディアどもとか思わないでもないわけです。

*7:今まで無かったとかそういう話ではないよ。参加者たちにとって良かれ悪しかれ一つの事件として認知されたということね。

*8:はじめにこの手の話題を聞いたのは確か世紀の変わり目くらいでしたでしょうか、当時、ヨーロッパで暴動を起こしているのはアナキストとかいう陰謀論まことしやかにメディア上で囁かれていたおりました。メディアによる警察のフレームアップ垂れ流しはいつものことなので流しておりましたが。

*9:ここ読むと瀕死の重傷を負った青年を車両で二度轢いた、ともありますが。

*10:本筋とは関係ありませんが、一応ブラック・ブロック側の声明も載せておきます。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/blackb.htm

*11:実際のとこ、そいつがどの位の関係者なのかなんてことはパンピー以上シンパ未満の人間にはさっぱり窺い知れないのです。たまに親しくなったり、向こうの活動にある程度参加したりすると何となく位置とか関係とか分かってくることもありますが、さすがに飲み屋で初対面の人間にホイホイ喋ったりはしません。基本的にあまり大っぴらに話すことがらでもないので当然といえば当然なんですが。

*12:まー、そもそも排除するにも勝手に集まって来るから無理な相談といえばそのとおりなんですが。タチ悪いね!

*13:サミット会場はハイリンゲンダム。ロストック以外の都市でもデモやイベントが多数あった。ロストックでは騒乱が大きくなったのでメディアで集中的に取り上げられた。

*14:日本のデモ程度なら参加する人はいても、さすがに海外まで行くような知り合いはいない。運動やってるようなのも中にはいるにはいるけど、基本金がない。あと、俺が苦手だったりする。などのショーもない理由で今のところピンでウロウロしてます。