あー、ブログって日記のことでしょ?俺、日記続いたことないんだよね。そんな感じでお送りします。

Ya Basta!!



ところで、はてな村ブログ界では左巻きの人たちが自称中道のウルトラライトから保守反動のパープリンまでをいっしょくたにしてネット右翼と呼んでいますが、それに対応するネット左翼ってのはどこにいるんでしょうか。

サヨクの人はたくさん見かけますが、ネット右翼の人たちとはあまりに非対称的なのでこれらの人をネット左翼と呼ぶのは憚られます。皆さん、いかにも教養があり、学識も深く、また穏健で市民的良心に溢れていらっしゃるので、とてもじゃないですがついていけません。知性と知識と合理性のトリプルコンボで武装していらっしゃいますので、あまりお友達になりたくない気もします。知識階級の鏡のような人々なので、高卒のワタクシには理解できない感性をお持ちですし。有り体にいって、サヨクは敷居が高すぎます。

これではいけません。三度の飯より革命が大好きで、火炎瓶と自動車爆弾こそが救いであるようなボンクラ諸君がこぼれおちてしまうではありませんか。ネット左翼は本来ネット右翼の対称形であるべきなので、徒に理知的な態度を取ったりや穏当で異論の出ない原則を持ち出したりすることはその本性上不可能なはずです。つまり革命的暴力全肯定でいくべきなのです。しかも、一切の理論武装なしに。

ネット右翼が建前として、あるいは見栄としてへ理屈を並べるとすれば、ネット左翼反日原理主義者として無原則的かつ直接的に暴言や中傷を吐くものですし、その前提は如何なる議論も受け付けない絶対的なものであるはずなのです。陰謀論的世界観に基づき、気の向くままに当たり散らし、こき下ろすような振る舞いこそがネット左翼の努めなのであります。ついでに言えば、バンザイアタックを全方位に対してしかけるものでなければなりません。もちろん、リアルで。


で、このブログを立ち上げたわけですが、拝読していただく前に皆さんにあらかじめ申し上げておかねばならないことが幾つかあります。まず、当ブログはチラシの裏なので、まともな主張や傾聴に値する議論とかは望まないでください。つまり、ここから先は読まなくてもいいということです。もちろん、エクスキューズです。そうしておけば何をしても許されるのです。ちなみにこのブログに書いてあることはすべて感想なので議論とかはしません。なぜなら感想でしかないものは議論に対象にならないらしいからです。議論は出来なくとも、罵倒文句はたくさん書けるのです。三行以上の長文は読みたくもありませんが、コピペは大好きです。「少し」とか「ちょっと」とか頭につければ自説に都合のよいものしか見なくていいと思ってます。牛は存在しないのです。何故なら僕はその事実を知らないからです。もちろん、牛肉は大好きです。しかし、それとこれとは何の関係もありません。牛の観念も視覚的表象も把握しておりますが、牛の実在は疑わしいのです。それはワタクシ様こと奇跡の行商人にして善人のブラカマンがそのような事実を証明する如何なる客観的証拠も認めないからです。たとえ、昔牧場で見た偶蹄目の動物らしき何かを覚えていたとしても、それは決して牛の実在の証明ではありえないのです。それは仕方のないことなのです。端的に言って私はそれについて「知らない」からです。知識がないことを非難するのは間違っています。何故ならワタクシ様のように日常生活に忙しく、充実したリアルライフを送っており、かつ資本主義社会に適応している人間には新書一冊読むのも難しいからです。新書一冊読む時間をサラリーで換算してみろよ。コストパフォーマンスが悪すぎるじゃないか。実在しないもののために時間を浪費するなんて凡そ非合理的だ、というわけです。そんなわけでgoogle様と掲示板のコピペだけが知識の源泉です。知性などというものを期待してはいけませんし、ちょっとでもコンプレックスの対象になるような語り方をしたとたんに「上から目線」とか「偽善的」とか言いだします。人民の敵であるところのエリートや知識人は全員労働キャンプに入れるべきなのです。
NHKの集金に居合わせたことはありませんが、NHKの番組制作にはケチをつけます。アメリカと日本のすることには全て反対するので北京オリンピックにも反対です。オリンピックは粉砕されるべきなのです*1。理由はワタクシ様がネットの皆の脳の中にしか存在しない反日サヨクだからです。ちなみに中国と韓国のすることは反日的な限りで支持しますが、自民党と共犯関係を結んでいるので信用なりません。共産党は鉄の規律とか抜かしてた人たちが作った代物なので御遠慮願いたいけれども、共産主義は大好きです。尤も頭に無政府がつきますが。あ、そうそう国家と軍隊が嫌いです。警官はもっと嫌いです。

ちなみに、「嫌い」は感情の表現なので繰り返しになりますが反論とか批判とかはNGです。ワタクシ様への反論は認められません。批判は読むのが嫌という理由でネットから消えてほしいと思います。もちろん、勝手にコメントを削除したり、相手の言ってるいることを都合良くトリミングしたりすることはワタクシ様がする限りでは妥当な振る舞いであり、また人間であるが故に同情の余地のある些細な悪徳にすぎませんが、他人様がそのような振る舞いをする時、それは人間として許しておくことのできないものなのです。ワタクシ様のする罵倒や嘲笑は道徳的な意味における悪への攻撃なので、それに賛同しない人はファシストか資本家の犬、つまりは反革命の手先であり、その振る舞いは犯さずにはいられない運命的な違反であり、また客観的な裏切りであり、平たく言えば死ねばいいのにと思いますけれども、他人様の犯す道徳的な違反や行き過ぎは例えそれが些細なものであったとしても見過ごすことはできませんし、日常的に不愉快に思っている政治的な敵に関して言えば、義憤の涙を流して立ち上がるくらいの怒りを覚えます。ワタクシ様の支持する政治的暴力は正しく、敵の行う暴力は悪です。何故ならワタクシ様こそ革命の大義に生きているからであります。
そんなワタクシ様でありますから、反日とか非国民とか国賊とか言われるとゾクゾクします。でも、暗くてジメジメしたイメージのつきまとう労働運動とか組合活動とかはしたくありません。なぜなら観念が外界と出会い、矛盾があらわになるところであれば何処であれ闘争が現実のものとなるからです。自分が振るわれる暴力には敏感なので、どのような形であれ対峙し決断することは死んでもごめんですし、ぬくぬくとしたプチブル的な頽廃を否定する気は毛頭ありません。でも、革命は大好きですし武装闘争とかゲリラ戦とか聞くと心が躍ります。この際、革命の観念は正義の観念と混同されています。両者は互いに互いを根拠づけているので無意味なものになっていますが、そんなことは気にもとめません。革命は全てを終わらせ全てを救済し、全てを清算するはずなので、革命が完了する時とはつまるところ歴史の終わる時なのです。歴史が終わり人間の存在が客観的世界と一致するのなら、どうして今ここの暴力や矛盾に気を取られる筋合いがあるでしょう。宗教臭いとか終末論的とかメシアニズムとかくそったれのボルシェヴィキとか前衛党主義者とか言いだす輩はすべて反革命であり、人民の敵であり粛清されるべきだと思います。もちろん、政治というこの不和と敵対を本質とする不幸な人間活動も革命によって調停されるのでありますから、非政治主義者はいますぐ角材と火炎瓶を持って街頭に出るべきだと思います。
ところで、パイドパイパー&メシアコンプレックスの脳内サヨク的にはリアルワールドでは自分を救済される側だと考えねばなりません。つまるところ、俺の不幸はすべて左翼の責任なのです。救済する義務を怠ったからです。悪いのは全共闘世代と「左翼」と日教組労働組合なのです。彼らが救うべき対象を見捨て既得権を擁護したのが全て悪いのです。何だって労働組合や教職員組合や特定の政治的諸党派がこぞって経済や社会状況に関して一般的な責任を持たねばならないのかさっぱり分かりませんし、既得権というなら資本家や官僚の方が余程多く持っているようにも思えますが、とにかく連中が今のダメな日本を作ったのです。一党独裁政権の歴史や右翼とヤクザを抱え込んだ警察暴力など忘れました。というより、そうしたことは道義的に悪であるという前提に予め立っているのですから、ワタクシ様には感情の赴くまま左翼批判をして良い権利があるのです。偉大なワタクシ様の同胞たる皆様がよくご存じのとおり、支配的な制度や組織はオーソドックスであるというその点で既に免罪されているのです。効率性やコストパフォーマンスやその他現実主義を標榜するいかなる問いかけにも隠れた道徳的反感に基づく動機が存在するわけですが、実際のところ有責であるはずのものは最初から除外されており、その矛先は常に批判者や反対者に向けられます。教師の言うことは気に食いませんが教師は学生に対しお題目を言うことが期待されています。彼らが自分の仕事を単なる労働とみなすなら生徒はそれに対し異議を申し立てるのです。そして、世の「正しいこと」を主張する人間はすべて漫画の中の教師か学級委員のようなものです。彼らは「普通の人」に厳しく、敗残者や落ちこぼれにばかり目を向けます。おまけにバカバカしいお説教を振りまいては、善ならざる凡庸な「普通の人」の日常感覚を抑圧し疎外するのです。要するに世の中が分かっていないか、最初から分かる気のない鼻もちならない人間たちというわけですが、とはいえ我々の規範意識勝手に仮託された存在なのですから、その連中が市井の人々の義憤や反感をくみ取らないなどということがどうして許されるのでしょう――つまり欺瞞でしかないような自己の道徳感情について自省することもなく、また事実に対する慎重な留保をしておけば、最初からマトモに調べる気も理解する気もなく戦後左翼を云々できるのです。左翼は予め有責なのです。具体的に「左翼」とやらが誰を指していて、どの政治的立場を指しているのかは定かではありませんし、個々の運動の依拠する具体的な目的と正当性など理解する気はさらさらありませんが、これらのことが「左翼」を批判するにあたって瑕疵となることはありません。何故なら「左翼」はその語ってもいない普遍的で一般的な理想や正義に関わるすべての事柄に対して応答する義務があるからです。この場合、「左翼」という語は極めて感覚的にしか使われませんが、それが示しているのは常識的で平凡な人々に対して説教をたれる有徳にして篤志家の旦那さま方という程度のことでしかないので、矛盾は生じません。もし生じるとすれば自分もまた左翼である場合でしょうが、しかし、ここにも逃げ道はあります。支持者やシンパというカテゴリが世の中にはあるのです。これがあれば、「左翼」的な活動に関与したとしてもそれは参加者としてであり、またオーディエンスとしてであり、つまりは選挙候補者に対する選挙民のようなものなのですから、ワタクシ様が左翼の責任を分担する必要はありません。ワタクシ様だけは永遠に行動から最も遠くかつ安全なのであります。こうした振る舞いは自己欺瞞と呼ばれてしかるべきものですが、日本にいる限りは大丈夫です。ここでは「政治」は常に外部であり余暇の慰みとしてしか認知されていませんし、また当人たちもそれを望んでいるので、目一杯にプチブル的価値観に従って物事を判断したとしても誰にもとやかく言われません。つまりサヨクを自認する人々は概ねリベラルな意見に賛同しますが、究極的にいえばそんなものは反動家の自己欺瞞にすぎないのです*2…おや?

というわけで、皆の心の中にいる脳内ネット左翼のワタクシ様としては、プチブルに特有のこうした腐敗した政治的分別とは縁を切り、ルンプロ的気質を思う存分発揮して思いついたことを書き散らし、以て革命的人民の連帯を促進させるべく日々邁進していく所存であります。皆様に愛される人民の英雄にして革命の輝ける星――そんなネットアイドルを目指して頑張りたいと思います。

あ、もちろん君らの期待に応えてオタクだよ。それもヌルい方の。萌え萌え言っているのと、アニメから思想書とか読んじゃうイタイのとどっちがいいよ?ドゥルティって萌えるよね!特に銃の暴発で死んじゃうあたりとか!ちなみに愛読書はソレルとブランキです。黒旗は大好きですが、パンクは聴けません。アキラがベルリンで横断幕になり、ハルヒパレスティナでプラカードになったのですから、そろそろ革命歌も電波萌えソングにするべきだと思います。

*1:http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080413
これに関しては「ドトールを信じる者は死んでも生きる」で有名なサルトラ先生が一番まっとうな意見を述べていると思います。

*2:まあ、そもそも曖昧な概念でしかない左翼なんてカテゴリに自分をあてはめている時点で良くあるプチブル子弟のつまらないシニシズムとモラーリッシュな規範意識の発露にすぎないと分かりそうなものですが、意外と自分では気づきません。人間てステキ!