我々の抑圧と分裂の戦後史というものを思い描いてみる。

madashan2008-04-26


左右の戦争に巻き込まれて60年、我々は歴史=記憶を奪われてきた。我々の社会は我々の祖先たちとつながりを持てなくなってしまった。父祖たちは最早食卓に招かれず、我々は永遠に家を失ってしまった。戦前の大日本帝国は我々の歴史の一部であるにも関わらず、私がそれについて知ることは何故か大日本帝国を我々の系譜から外してしまう。そして、我々は永遠の他人事であるような歴史について謂れのない責任を被せられている――そのような被害者感情について。


一方では他人事でしかない、分断された歴史・記憶があり、他方では漠然とした「今ここ」のこの土地、祖国、郷土への直接的な帰属感情と愛着がある。要するに幻影との欺瞞的な共犯がある。そして、我々は失語症の患者である。我々は上のような分裂が仮初のものであり、また虚偽であることを知っている。我々は戦後ずっとそう生きてきたかもしれないが、我々には過去があり記憶があり連続性の上に立っていることを、したがって現在には常に様々な前後関係を持つ過程の一点が無数にあつまったものであることを、当初からそれとなく知っていた。ほかならぬ我々自身がその証人でもある。確かに昭和は終わろうとしていたし、分断統治はほとんど完成されかけていて最早戦争の記憶も帝国の歴史も神話的な領域に追いやられていた。けれども、我々はまさに同じそこに様々な偏りを持った無数の記憶からなる固有の、しかし普遍的であるような歴史=記憶を見出していた。彼らはそこにまだ生きており、また彼らに続くものたちは彼らが残したもの、作り上げたものの中から自らの生をはじめざるをえなかったのだから、彼らの系譜にたつ我々はまた彼らとの直接間接を問わない密接な関係の上に在るのだと、我々はよく知っていた。我々は、しかし、その認識を言葉にしようとすると言葉にできず、<知>としての歴史は我々の経験を言葉にすることを禁じているのだということも学んでいった。


我々は自分自身について漠然としか認識できないのであった。我々はこの経験における揺るぎない確信に基づく直接的で無媒介的な感覚を言葉にすることが出来ないのと同様に、我々に固有の、そして我々が自明である限りで一般的な我々の歴史というものを思い描くことが出来ないのであってみれば、我々は二つに分裂した人間であったのだ。一方には密やかにしかしまた公然と、要するに他人の噂話のように、語られ受け継がれてきた我々の偏見と誤謬に基づく認識や知識があり、他方には了解し遵守しなければならない我々の意識の検閲制度があり、後者がどれほど守られなかったとしてもやはり規則であり、原則であり、判断基準であり、正当性の源泉であったのであるから、前者がどれほど傲慢かつ傍若無人に大手をふるって歩いていたとしても、それらが潜在的には違反であり、純粋ではありえないという事実を如何なる意味においても消しうるものではない。しかしながら、<知>は単に検閲するだけでなく法則をも支配しているのであって、それは要するに我々がいかにこの経験の下に自らの記憶を語ろうとしても、我々自身にとってすらそのような観念が整合性をもって現れてくることはないということであり、また我々が我々の現在を証人たちの語る記憶=過去に結びつけることができないということであり、その結果、我々は我々の隣人、父祖、友人や敵たちを最早それと見分けることができなくなってしまったということである。私にとって国家はあまりに疎遠な存在であり、大日本帝国は他人事にすぎない惨めな失敗作でしかない。私が学んだ歴史は私と無関係な人間たちのものであって、私は私の生きられたこの生が現実にその上に成立しているところの過去=記憶を表象することができない。私は言葉を奪われているのであった。しかし、それはまた私がみずから選んだものでもあるのである。何故なら、私は私の言説も他人の言説も等しくその基準に従って評価する、価値判断のワンセットを他人たちと共有しているからであり、互いにこの規範を守って生活することを良しとしているのは他ならぬ私自身であるからだ。そしてまた、それらの価値を他人事のように受け止めることで自分について矛盾のない意識を持つことができたのだ。それらが自分たちの外部に感じられ疎ましく思うのはむしろ私がそのようなあり方を欲していることなによりの証拠なのである。我々は暴力や悪、偏見がそこにあると分かっている限りで己の不善を無視できるし、また同様に理念や道徳、それに正義がそこにあると知っている限りで他人たちの邪さを声高に非難することができる。我々は我々の判断や責任を彼らに委ねることで己を偽り、かつまた傲然とむき出しにすることもできたのである。彼らは共に我々の鏡であったし、影でもあった。我々の不安な生における安定剤であるこれら二つの、それぞれに具体的な原則と根拠を持った勢力は、しかし、今や破綻してしまった。我々は契約の文言を忘れてしまったのだ。


我々は互いに互いを監視し合い、互いの言説を非難し合い、牽制しあってきた。そして、またその時々に都合よく『本音』というものを他人たちの邪さのうちに見出して悦に浸ってきた。我々は仲間うちで公然と偏見や差別を助長する発言をすると同時に、他人たちとの直接的な会話においては遠慮したものいいと穏やかな問いかけで平和を維持するという、二重思考に生きてきた。我々が好き勝手に現実主義を標榜し権威を別の権威でもってこき下ろすことが出来たのはすべてこの二重思考のお陰であった。しかし、我々がその対立を必要としている二つの勢力は互いにリングから去ろううとしている。今度は自分がリングの上で戦わなければならない。我々はかくて恐慌状態に陥っているのである。故郷と家は永遠に失われたのだ。今現下に見える光景は、我々が他人たちの欲望や要求という形で承認し望んできた世界の姿なのであって、健忘症と偏執狂的な被害妄想という我々が生残るために必要とした二つの技術が導いた場所なのである。親密さの圏域においては老人たち、大人たち、そしてまた祖先たちとのつながりを我々はよく承知していたし、互いに純粋な無罪者であるかのように振る舞えたけれども、他人たちの前ではこの関係を否認し、また心からそうしたつながりを忘れてしまうことができたし、或いは自分に無関係の事件に巻き込まれ一方的に責任をとらされているかのようにに感じることで、他人たちの要求や批判に耳をふさぐことができた。我々の平和と安全、友好的で穏当な品の良さというものを揺るがすような致命的な事態は起こり得なかったのである。


要するに我々は我々自身に対して統一的なアイデンティファイが出来ないということである。もちろん、このようなアイデンティファイはそれほど重要でもなければ必要不可欠というわけでもない。そんなものがあったとしても不安や怯え、あるいは憂鬱さは解消されないし、無条件に他人たちと和解できるわけではない。とはいえ、対象化するにせよ能動的に参与するにせよ、いずれにせよ認識の時点で二重化されてあるような対象に関して判断することはひどく難しい。批判し、参与することのきっかけがまるでつかめないのである。一体、何を根拠にこの曖昧なわれわれを議論の俎上に乗せればいいのか。


一方には客観的な知があり、他方には主観的な記憶がある。我々はこう言われてきた。あなた方は大日本帝国と無関係であるし、その歴史にも戦争にも責任は一切ない。そして、実際、この種の出来事はあまりに遠く、それ自体死んだ歴史記述以外の何ものでもなかった。しかし、我々は老人たちを知っていたし、大人たちの怒声が聞こえてこない日はなかった。そして、先ほどの言説は同時に次のようなメッセージを暗に伝えていた。彼らはあなた方の祖先、系累、仲間、友人たちである、と。こうして、我々はそれ以前の歴史と分断されてありながら、しかも現下の情勢においてはその歴史に対して有責であるという困った事態に陥ってしまった。我々は帝国の臣民ではないし、民主主義的で自由主義的な諸原則を建前とする、裕福で平和的な国家の市民であるからには、大日本帝国は遠い昔の過ちにすぎないものであったし、我々は負債――それも謂れのない言いがかりであるような――を既に払い終えたのである。当事者たちが生きているころには曖昧な関係は彼ら自身の問題という形をとることで緩和され、我々は無関心さの中で事態を傍観することができた。問題となっているのは事実ではない。事実をいかに積み上げたとしても、我々の不快感や被害者意識が消えることはないだろう。というのも、我々が疎ましく感じているのは過去の事実ではなく、現在の非難に対してであるからだ。


しかし、公的でお上品でそれ自体知性的な規範文と差別的で扇情的かつ排他的な告発文の間に、忘れ去られた我々自身の歴史があるのである。我々は前者を建前とし、後者を本音と称してきたけれども、我々にとっては何れの言説も疎遠であることには変わりない。我々の関心は戦前の国家体制を評価することでも、戦後も続く統治の連続性を批判することでもないし、反対に占領と同時に起こった悪魔払い的な迫害を云々することもでもない。我々は無関心さによってこの種の争いから身を引くことが今や不可能になってしまった。他人たちは再び面前で批難の声を上げている。どうしてとやかく言われる筋合いがあるのだという感情と共に煩わしい事態に巻き込まれるのではないかとの不安がよぎっている。しかし、最も困難であることは我々自身がこの問題についてどのような選択をすればいいのか、ということである。行動や決断の根拠となる動機が見当たらないのである。争い合っている代表者たちや死せる当事者たちの敵対と同盟の戦争の中では、我々の日常的な欲望や感情的な反応のいずれもが十全な満足を経験しないだろうし、そうであれば我々はどうして彼らとともに戦うことができるだろうか。物事について判断する根拠としては双方ともにあまりに別世界の住人であるが故に何れの陣営にも我々は身を置くことが出来ない。正当性と論理は一方に与えられており、感情は他方が独占している。一方は立派な人間としての有徳さの証明であり、片方は感情的反発に基づく共感や親密さに応じた友愛という人間らしさの現れである。我々は「理性と感情」という決まり文句に従って、いずれかを選べと迫られる。我々の理性も我々の感情も(この二つが本来的に矛盾するなどと誰が言ったのだろう?)彼らとは相容れないというのに。


…まあ、でも良く考えたら、別に日本人じゃなくていいやという結論に達してしまいましたので途中でやめます。要は我々自身がそこにコミットメントできる形で各自に都合の良い、けれどもまた事実と矛盾しない<歴史>を描くことが政治的諸勢力には必要なんじゃないのかなと思ったんですが。別に事実をことさら改竄しなくとも、プロパガンダは出来るわけですし。他人の共感に訴えることにあたって、配慮や公正さは必ずしも必要ではないばかりか、反対にそれらは他人たちに反論されないための措置である場合が多いから、ここはむしろ恰も己に絶対の自信と正義があるかのような態度で敵を非難し味方を称揚するような形式が望ましいと思います。説得することとは、譲歩することではなく誘惑することです。そして、他人を誘惑するのは内容ではなく形式です。頑張って各自それぞれの偏見と嗜好に基づく公式の歴史を描いてください。