疲れてきた。


明日のヤポネシア帝国主義を担う国家サンディカリスト攻撃評議会の皆さん、草木も眠る丑三つ時をいかがお過ごしでしょうか。スペインのファシストはネーミングセンスをどうにかしてください。さて、落書きばっかり大量にアップして、見る人に素敵な嫌がらせをするという崇高な革命的使命感に燃えてここまでサボったり、アンニュイってたりしていたワタクシ様こと人の子様ですけれども、どうにも近頃やる気が起きません。生まれてからこの方、ずっと近頃です。つまり、永遠の現在です。まあ、どうでもいいです。

ワタクシ様は昔から無駄遣いがしたくなくともしないではいられない経済のけの字も知らない人間でございましたから、まさしく消費社会の申し子のようなものなのであって、天上の真理の反映なのです――とか吹いてみようかと思ったけど、よくよく考えればそれは単に年がら年中頭の中がポトラッチな人というだけなのではないのか。そして、もっとよく考えれば物欲には強奪があるように、欲望には直接行動がつきもののはずなのに、なにゆえ媒介などに頼ったのかと強く自己批判いたしました。交換するより、燃やす方が断然楽しそうだよ!

あー、それはどうでもいいんですが、経済誌を何故か最近買うようになってるんですね。で、これがホントに単なる嗜好ならオヤジ化で済む話なんですが、実をいうと少しも読みたくはないのです。だって、バイオレンスとかレボリューションとかいうのとは無縁なファンタジーなんでしょう。そんな詰まんないもの、読みたくないよ。まあ、それはどうでもよくて、今週だかのエコノミストが特集で「日本経済処方箋〜経済「戦時」克服のためのチェンジ〜」とかやってるのね。それで一々の記事の理屈は知りませんので記事の具体的内容の如何などという話ではまったくなくて、単にあの雑誌とその記事の作者たちの前提というのは「経済力を再生させる新自由主義」か「社会的平和をとりもどす古き日本的保護主義」というアジェンダなんですよ。なんで?意味わかんないけど、これ最近は始終見かけるようになって、ワタクシ様なんぞは人の子でございますから、それはそれは大層薄気味が悪くて仕方が無くて。


これ、なんなん?意味分からんよ。どっちも要らないじゃないか。え?現実的に取りうる二択だって?いや、全然現実的じゃないじゃないか。どっちも変わらないくらい間抜けな選択肢だよ。前者はあれでしょ、よくいる「社会保障の前に経済の再生。お財布が増えなければジリ貧だし、増えれば保障はそれほどの負担にはならないから」とかいうのと同じでしょう、要は。それで自分たちの現実性を、レーガノミクスの成功例みたくイギリスとか挙げるのかしら。ブレア登場辺りからやけに景気が良くなってきたんでしょ、あそこ。それでサッチャーの経済政策がようやく効を奏し始めたとか言われてたらしいよ。不動産関係に外資がボンボン手を出せるようになって云々てな話を聞いたことがあるけど、まあ、理由なんざ知らん。でもさ、すごく聞きたいんだけどね、景気が良くなると何で社会保障が強固になって、より多くの予算が充てられるようになるの?そうなる必然性みたいのはまるで感じないんですけど。企業の経済活動が活発で、消費もそれなりに大きくて、国家の歳入もそれなりに増大して、総じて景気が良いといわれる状態でも、少しも豊かでない人間が大勢いるところなんて、世界中にたくさんあるよ。景気が良くなると、なんで国家が社会保障の領域に気前よく予算つけるようになるの?より保障内容も充実して、さらに資格も緩和されると素朴に信じられる理由はなんなの?あるいは、要するに景気が良くなれば雇用人口や給与の増大が一般的に予測されるから、暮らし向きはよくなるはずって話なのかもしれないけど、お金持ちとある一定以上の階級だけはさらにリッチになるけど、下方に行くにつれ極めて厳しい労働条件と給与に生きるようになるし、社会的保障・教育・福祉からはどんどん外されていくし、消費が出来ない層にいたっては全くといっていいくらい社会から排除されていく、ていうのが新自由主義でしょ。なんで、暮らし向きが良くなるんだよ、ハゲ。


で、もう一方の日本的保護主義てな、要は企業と国家と労働の合体技みたいなものすか。なんか、総動員体制で生産力至上主義をやってた頃からあまり変わらない、奇妙な集団的抑圧の再生産としての経済活動みたいなの。それを今更、どうやって復活させるんだろうか。そもそも、まだあるよ。きもいよ。相変わらず、ビジネスに道徳を持ち出すし、仕事に義務をくっつけようとするよ。それは及びでないっていうけど、君らが復古させようとしてる代物は単なる経済政策でなしに、社会的代案として、つまり<国民>のコンセンサスの生まれる余地があると見なされた論理に従って、当該の経済政策を遂行することを予期しているわけでしょう。だったら、そこに含意されているのはどう考えても例の気持ち悪い集団主義だろ。社会通念だの規範だのてのは、どう頑張ったところで現実的な利害や制度的実体がない場所では存在し得ないでしょう。だったら、君らのやることは明らかにひとつの欲望――この言葉が嫌なら、意思でもいいよ――を制度化させること以外の何ものでもないだろうし、制度の運用の実際はそうした意図が汲まれるような方向で組織されるわけでしょ。それは御免こうむるね。要らないよ。そもそも、別に社会保障とか充実してなかったし、平穏でもなければ無事でもなかったよ。嘘つかないでよ。君ら、金持ちと貧乏人がいたら、金持ちから削って貧乏人に増やすみたいな単純なやり方は絶対やらないし、全体に不公平感がでない形で「利益」を渡すにあたって、絶対に個人ではなくて組織や集団を通して分配したがるだろ。配る側も受け取る側も、負担する側も享受する側も匿名でいる限り、責任はどこにも発生しないものね。まあ、それはいいんだ。経済政策とは関係ないとか言い始めるんだろうし。でもね、君らの論理にそういう匂いがある以上は、少なくとも信用できないね。そもそも効果が疑わしいんだよ。君らの期待する効果をもたらす仕組みをとっくの昔に廃棄してるのが、今のヤポネシア社会じゃないの?そこんとこ強化ないし復活させるのはどうするのさ。これは、明らかに経済的政策のみではすまない話になっちゃうよ。社会政策全般が含まれるから、理屈としては経済的な要求の上に置かれることになると思うんだけど。


まあ、でもね、君ら両方とも信用できないのはだね、経済的再生が成されれば貧乏人が減るとか、セーフティーネットの拡充が図られるとかいうのもそうだし、再分配を強めれば社会的不安の解消と消費活動の活性化につながるとか、何の脈絡も無くふたつのものをつなげて平然としてられるところかしらね。要するに総じて君らの採っている有効性の基準それ自体が疑わしいつーな。

つまり、あれな。公的資本は(経済的に)意味ある領域に、有効なやり方で投資されるべきつー論理な。うん、申し訳ないけど、俺みたいのに利益をまわしても何の経済的活性力にはならないよ。それは大いに認めるとも。そして、労働は断る。でだな、非正規労働の救済案としては非正規労働への規制強化と正規雇用の強制という方向での雇用安定化は、企業が安い労働力を求めて海外に逃げるよ。経済的合理性ってのはそういうものだよ。その覚悟あんの?とか嘯くやんか、君らな。それはあれだよね、いわゆる脅しとか脅迫とかそういう類のものですよね。そう。それなら、不安定労働者は実に合理的に同じやりかたで返すことができる。


金(飯あるいはその種)を寄こせ。さもなければ暴動だ。というわけでしょう?そういうお話ですわよね。それこそ、皆さん方、覚悟の上ですよねー。どんどん治安を悪化させて、しかも悪意と敵意を以て特定の階層と企業にその力を仕向けるのが、不安定雇用の中で生きる貧乏人の経済的合理性ですよね。君らの論理でいけば。

君らは続けるわけだ。正規雇用の強固な保護を取り下げて、雇用の流動化を図れと。雇用が増大するし、浮いた経費で給与の平均的増大も図れるはずだと。いや、しねえだろ。どう考えても。単に正社員が首切られやすくなるだけの話で、それだけならより多くの不安定労働層が生まれて、全体としての層が平均的に底上げされるってだけじゃないの。

いやまあ、どうせ理解できないから解説してくれなくていいけど、意味わからんよ。君らの理屈は。ある項とある項が必然的に連続する理由はどこにあんだよ。ああ、正社員の経費削減と非正規の雇用カットをリンクさせるんですか。そうすると利害の一致が見られ、必然的に層が厚くなり…ってやっぱり一緒じゃねえか。要するに利害の一致によって結び付けられた多数派が多数派として政策決定に一定の圧力をかける限りで有効な手段、て話ね。うん、それ、何も変わってないよ。あと、企業痛まない。平等とかいうな、馬鹿。

答えが一択なのは君らがアホだからだよ。もちろん、それを望んでるけどな!!