ついでにいうと政治的価値とかいうのもどうでもいい

万引きを煽る反資本主義運動、世界各国に飛び火
http://wiredvision.jp/archives/200508/2005083002.html


ブクマの反応:
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://wiredvision.jp/archives/200508/2005083002.html



引用だけでお茶を濁すよ。ピロオとオオタキたんの両方にケチをつけられたことで有名な某書から。

いま私たちは徐々に機械と同化、融合しつつあり、作家は、誰かにコンセントを抜かれてタイプライターが使えなくなったためでなく、誰かが作家自身からコンセントを抜いたために書くのをやめる時代がおそらく来ます。しかし、そうではない若者が現れています。なぜなら、その若者の電気コードは外部のどんな動力源ともつながっていないからです。彼の心臓は自ら鼓動しており、彼のエネルギーは「欺かれる」のをおろかなほど頑固に拒否する姿勢から発しているのです。つまり、スローガン、イデオロギーといった抽象的な大儀の走狗にさせるような、いかなるものにも取り込まれるのを拒否する姿勢から発しています。カリフォルニアで、わたしはそんな若者たちと生活をともにし、自分なりに彼らの世界に参加してきました。私は彼らの世界について語りたいのです。なぜかといえば、もし幸運にめぐまれるなら、その世界の何かが、価値観が、ライフスタイルが、私たち全社会の未来を作り上げるように思われるからです。私はSF作家として、つねに未来を見つめていなければなりません。私には希望があります。途方もない楽天的な気持ちであなたちにこれを伝えたいのです。その希望というのは、私たちの全未来は若者たちの頭の中に、いや心の中に芽ばえつつあるということです。彼らは若くて、まだ政治的にも社会的にも無力で、カリフォルニアの法律ではビールやたばこさえ買えず、投票権もありません。


すごい褒め称えかた。さぞかし徳の高い子どもたちにちがいない。

レイ・ブラッドベリの名作にこういうのがあります。恐怖にとりつかれたロサンゼルスのある市民が、自分のあとをつけてくるパトカーに人が誰も乗っていないのを発見します。私にとって恐ろしいのは、パトカーが主人公を追跡することではなく、車の内部に満たされない空白の部分があることです。何か決定的なものが不在なのです。これは悪夢と化した未来の黙示録的ビジョンとなっています。とはいえ、私自身はもっと楽観的な見方をしています。私がその小説を書いたとすれば、運転席にティーンエイジャーを乗せたでしょう。彼は警官が昼食時にコーヒーショップに入っている間に車を盗み、ばらばらに解体した部品を売りさばきます。いささかシニカルですが、このほうがいいのではないでしょうか。私の住んでいるカリフォルニアでは、警官が家宅捜索をしている間に誰かがパトカーのタイヤ、エンジン、トランスミッションをはぎ取っています。ですから、警官は署までヒッチハイクせざるをえなくなるはめになります。体制側の人たちにはゆゆしきことでも、私にとっては愉快です。人間の卑しさのほうが機械の優秀な働きより好ましいのです。若者たちはこのことを良く知っています。パトカーだっていつかは廃車となります。車なんてどれも似たり寄ったりで、消えてなくなれば、それだけのことです。とりかえがきかないのは車の中の人間です。たとえその人間が嫌いでも、その人間がいなければどうしようもないのです。いったん消えてしまえば、けっして戻ってはこないのですから。アンドロイドでも同じです。
 子供たちは新しい個性をはぐくみ、人々が依拠している真理を傲然と見下しているので、彼らは私たちにとって――トラブルの源になっています。必ずしも政治活動に携わっている若者ばかりではありません。政治スローガンがどんなに革命的なものであっても、それは過去への回帰です。私は「自分のやりたいこと」をやる、自立した若者のことをいっているのです。彼は軍の輸送車両の前に座り込むようようなまねはせず、車のトランクに四人の仲間を押し込んで入場料を払わずにドライブインの映画館に乗り入れる程度です。前者には意義があると賞賛され、後者は無責任なだけだと言われるかもしれません。しかし、後者にこそ、より幸福な未来図が見えるのです。歴史にはつねに、支配勢力に反対して結集する人びとの運動がありました。つまり、外部対内部の戦いです。これまでユートピアが作れなかったのはそのためです。これからもずっとそうでしょう。
 

ジョージ・オーウェルが想像した全体主義社会はすでに到来しているのでしょう。政府はオーウェルが予測したことをまさに実行しようとしています。かくて権力が存在し、動機が存在し、電子工学のハードウェアが存在していますが、それだけでは意味をなしません。なぜなら、誰も耳を傾けようとはしないからです。現代の若者は本は読まないし、落ち着きもなく、ぼけっとしていて、もの覚えも悪い。権力者の号令も彼には空しく響くだけです。彼は反抗しますが、理論やイデオロギーからではなく、利己主義から反抗するのです。それに加えて、服従しないと権力者が必ずもたらす恐ろしい結果には、関心を払いません。買収もできません。欲しいものがあったら盗むかして手に入れることができるからです。威すこともできません。街頭や自分の家で暴力行為を見たり、行ったりしてきたからです。暴力がこわくなった場合には逃げ出します。逃げられなかったら反撃します。警察のワゴン車がある若者を強制収容所に連れていこうとしている間、同じようなどうしようもない若者がタイヤを切り裂いていることに見張りの警官は気づきません。タイヤを替えていると、またほかの若者が自分の改造シボレーに、ガソリンを全部移しかえ、スピードをあげて走り去ってしまうのです。


わかもの、かっこいー。余談だけど、昔、高校のころ、何かの用事でやってきた白バイ警官のメットが消えるという出来事がありました。そいつがバイクを校門に停めて校舎に入っていった数分の間に。まあ、路駐してメット置いてく方が、頭が悪いんですが。それから三日後、ちかくの大学構内のゴミ箱から落書きだらけのメットが発見されましたとさ。あと、ヤクルトおばさんも鍵失くしてたな。某クラスメートの人の言葉がすべてを言い表しています。「これでヤクルトが飲み放題だ!!」いや、だったらバイクごとガメてこいよ。まあ、誰がやったのかは大体想像がついていたらしく、ヤクルトおばさんのキーは無事手元に返り、配達を続けることができました。労働地獄へようこそ。

SF的には、無政府状態におちいっている未来の全体主義国家の有様は次のようなものです。いまから十年後にテレビのレポーターが街頭で若者に、アメリカの大統領は誰かとたずねると、若者は知らないと答える。「だけど、大統領はあなたを処刑できるんですよ」とリポーターは抗議します。「あなたは刑務所にぶち込まれるか、権利を奪われ、財産が没収されます、何もかもね」。すると若者は答えます。「心不全になっちまったおやじが、先月まで同じようなことを言ってたな」。インタビューが終わり、レポーターが持ってきたものを取りにいくと、カラー3Dステレオ、マイク、ビデオレンズの一部がなくなっている。レポーターがしゃべっている間にこの若者がかっぱらっていったのです。
 全知全能の全体主義国家で、個人が人間として生き残るには、欺き、虚言を弄し、文書を偽造することが必要です。そして官憲当局の装置以上の、改良した装置をガレージで作ることです。テレビのスクリーンに監視されていれば、スイッチを切るのが許されている深夜に配線を替えたらいいのです。あなたの家の居間からの送信をモニターしている警察の連中の家の内部を映し出したらいい。でっちあげられた供述書にサインを求められたら、あなたが会員になっている模型飛行機ファンクラブに侵入してきた政府のスパイの名前を書きなさい。罰金は、にせ金か、不渡り小切手か、盗んだクレジットカードで払うといい。うその住所を告げること。盗難車に乗って裁判所へ行きなさい。裁判官が判決を下すさいは、彼の娘の避妊用ピルにアスピリンを入れとくと言いなさい。ポルノ雑誌の郵送者リストに彼の名前を載せるのもいい。それでも駄目なら、彼のクレジットカード番号を利用して、ほかの星の都市へ長距離電話をかけると威すといい。もう裁判所の建物を爆破する必要などなくなります。裁判官の名誉を失墜させる方法を見つければいいからです。たとえば、彼はある夜、車のヘッドライトを消し、ハンドルの前にシーグラムVOが五分の一入ったボトルを置き、車道以外を突っ走っており、バンパーには「アメリカの同性愛者に人権を」というステッカーが貼られている。彼はもちろんそのステッカーをはがすが、その姿をあなたと何人かの友だちが目撃する。そして、みんな一斉に公衆電話のところへ行ってこの情報を地元の新聞社も通報する。それでも彼がおろかにもあなたに判決をくだそうというのなら、あなたがうっかり彼の部屋に置き忘れた小型テープレコーダを返してほしいと頼むがいい。スイッチがこわれていて、十日間分が録音されているはずだとかいって。

私の住む郡に、できのわるいSF映画まがいのプラスチックとクロム合金でできた、バック・ロジャースが出てくるような郡庁舎がありますが、ここに入るときは電磁波のループを通らなければならないのです。鍵や腕時計、ハサミ、爆弾だろうが、三・〇八口径のウィンチェスター銃だろうが、金属類を持っていると警報が鳴ります。ピーッと鳴ったら、制服姿の警官にただちに調べられます。一年ほど前にあった悲劇的な銃撃戦のせいです。武器の探知についてはわかりますが、麻薬所持についても調べられるのです。エレクトロニクス装置をそなえた検問所が、爆発物や武器が郡庁舎内に持ち込まれるのを阻止するために設けられ、法律違反という共通の糸を張ることで警察機能を増大させています。郡庁舎内の郡立図書館に入るときも同様です。ドラッグを所持していないかどうか調べられるのです。私自身も図書館の入り口で制服姿の警官に、私が持っていた書物や書類を調べられたこともあります。次の段階には、交通量の多い交差点や銀行を含めたすべての公共の建物に強制検問所が設置されるでしょう。こういった制度がいったん確立されたら、専制政治がどこへ行き着くか諸君もおわかりでしょう。鍵、つめきり、コインのようなものまで探知する電磁波のループを国家は手にしています。ピーッと鳴る奇妙な小さな音は郡立図書館へではなく、おそらく牢獄へ入る扉に通じているのです。
 でも私が楽観しているのは、今日の若者は、邪悪がはびこる社会に生きているので、そうした装置のことは精通していて慣れっこになっているということです。私はある日の午後、雑貨店の前に車を停めて、後部座席に置いた包みを盗まれないようドアをロックしようとしました。すると連れの女性が、「その必要はないわ。ここの駐車場はいつも監視装置が見張ってるから。だから、大丈夫」かくして、ふたりはドアをロックしないで店内に入りました。むろん、彼女の言うとおりでした。


教訓:監視カメラのある場所では盗みをしない。コストとしての時間――カメラを潰し、盗み、逃げるまでの時間を考慮に入れること。
教訓の教訓:監視カメラは隠されている場合もあるから、常に注意を怠らない。

(…)アンドロイドは、私の知り合いの純真で利発な少女がやったようなことをやろうとは思いつかないでしょう。いささか常軌を逸し、いくつかの面で少なくとも伝統的な意味で道徳心も欠いてはいるが、陽気な反抗心、精神的ではないが生き生きした勇敢さとユニークさをかねそなえた人間的な行為を、アンドロイドは行えないのです。
 ある日のこと、彼女は自分の車を走らせていたのですが、コカ・コーラの瓶の詰まった箱をたくさん積んだトラックが前を走っているのに気がつきました。トラックが止まると、彼女は自分の車に詰め込めるだけのコーラの箱を積み込んだのです。その後何週間か、彼女とその友人たちはコーラをただで飲むことができました。空瓶は収集所に持っていき、瓶代を払い戻してもらいました。
 この少女に神のご加護を。永遠の命を給わらんことを。赤外線スキャナー、暗視スコープといったたぐいの仕掛けをそなえたコカ・コーラ社や電話会社など、さっさと消えてほしい。金属、石、針金、糸は生命を持っていませんが、彼女とその友人たち、そして私たち人間の未来はささやかな希望の歌をかなでています。「人間の魂は天へと昇り、けだものの命は地の下へ堕ちるのを誰が知ろう?」と聖書は問います。いつの日か聖書の改訂版は、「人間の魂は天へと昇り、アンドロイドの命は地の下へと堕ちるのを誰が知ろう?」と問うでしょう。アンドロイドが死んだ後、その魂はどこへ行くのでしょう?しかし、アンドロイドが生きていないとしたら、死ぬこともありません。死ぬことがなければ、いつも私たちとともにいることになるでしょう。アンドロイドは魂を持っているのでしょうか?私たちは魂を持っているのでしょうか?
 聖書が言うように、私たちは最後にはみな共通の場所へ行きます。しかし、そこは墓場ではありません。はるか彼方にある生命の中、未来世界の中へと行くのです。
 


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