23日が祝日であることの意味は何かしら。


むかし、小さかった頃――といっても、中学には入っていたけど、あの頃、近代史の本(もちろん、漫画!)を読んでいて不思議でしかたの無かったことに、明治大正昭和と戦前の自由主義者たちは天皇を容認して矛盾を感じることが無かったし、また崇敬の念すら肯定できたという事実があって、そらまあ、頭の中でどう考えていたかなんつーことは本人の残したものに触れない限りは推測だって出来ないけど、一般的な認知として、天皇制それ自体を攻撃する人たちってのは「ふつー」の学者さんやら政治家さんには居なかったわけでしょう。もちろん、実際は相当に幅があって、ニュアンスのつけ方もぜんぜん違ったとはいえだよ、何処の国でも自由主義者たちや共和主義者たちは、たとえナショナリストであったとしても、王制や旧貴族と戦ったというのに、どういうわけか一般的な物語化された戦前の表象にはそうしたものは見当たらない。この漠然としていてあいまいな認識は、もちろん戦後の言説が作り上げたフィクションだということは出来る。でも、事実としてどれほどニュアンスをつけ、どんなに自分たちの言語の中では距離を保ったとしても政治的には敵対を構成しえなかったという点で――むしろ、敵対は天皇制の枠内において発揮されていたように思う――「主義」であったとは思えない。もちろん、大きくなった今の僕には、天皇が過去から続くものと僭称して、「ご一新」それ自体の――つまり起源の神話化を図り、それにかなりの程度成功したのだという推測もできる。もちろん、今と同じように――けれども、天皇は現在考えられるよりも遥かにハードで実体的な権力それ自体と考えられていた――天皇ではなく「事実として」の権力を掌握した人間たちや制度=国家と闘争する方がより自然な振る舞いだったということも考えられる。でも、僕の問題にしたいのは将にこの「自然」だ。戦後と戦前はひとつの分断ではあった。天皇は最早実体的な制度上の力の作用において起源や動因とは見なされえないし、それは制度が自らを正当化するときに天皇を持ち出すこともないし、また天皇それ自体に対する攻撃がひとつの不正を形作るとは思われないということだから。同時に戦前と戦後は連続しているし、実質的には変わりながらもなお同一性を保持しているし、にも関わらず自分たちを上手に定義づけできないでいる。


そもそもこの社会の無気力なまでの受動性を問うことに、ポストモダンとか、イデオロギーの終焉といった言葉は関係が無いように思う。何時からそういわれるのか知らないけれども、僕がものごころついた時分には既に大人たちは確信を持って何かを言うことは出来なかった。そして、にも関わらず裕仁がくたばった時には平然と皆で喪に服していた。その日、僕は友達と遊ぶことを諦めざるをえなかった。家を出ていつものように小学校の裏山に行こうとしたけれども、外に出てみたら休みになったのに――しかし、何故天皇がくたばったり生まれたりすると休みになるのかしら、という疑問は当時の僕でさえ持った――誰も騒いでいないのだ。商店は営業しているところもあったし、道路をたまに車が行きかうこともあった。散歩している主婦や老人もいた。でも、元々人通りがあまりない閑散としたローカルな空間はそのとき、明確に人を圧迫する空気を帯びていた。実感、とかいうなら正しくあの時、僕は僕の住んでいる空間に厳然たる――そしてまた隠然たる権威を持った存在があるということを知った。そして、その実感は紛れもなく事実としての抑圧だった。僕の父親は喪に服すべきことを自明なものとして、遊びを不敬として、僕を家に閉じ込めた。彼は個人的にという留保をおいたとしても、ヒロヒトが好きだった。そして、その身振りは天皇制の支持者であることとそう大差なかった。けれども、これは政治的に問題であるとは看做されなかった。


世界がどう変わり、歴史が自らを必然性として人間たちを余儀なく拘束していたとしても、その説明がどれほど合理的であろうとも、その合理性に寄り添うようにして、あるいは逆にそれに適応し寄り添わせているところの、永遠の現在としての自明性は問われえないのであって、このことは単なる抽象でもないし、単なる認識の問題でもない実際の人間たちの生活に依拠した事実とそれへの対応の形式的身振りの問題なのである。


ヤポネシアの住人たちは、事なかれ主義だとか温情主義だとか建前主義だとか色々と批判されていた。同じ人間たちの中からでも揶揄されていた。でも、子ども心に思ったのは彼らが事なかれ主義で温情主義的なのは単に自分たちが負けている時だけで、それ以外の場合、反抗する人間や敵対する人間をパージし不可視化することがこれほどお上手な連中もそうはいないだろうということだった。彼らは自らが引いた公正さの線――他人と自分が互いに見せ掛けの平等を維持できると考えられた地点を乗り越えることはまず無いし、彼らからするとそこまで降りてくること自体が既に相当な譲歩なのであるが、同時に彼らはこれを自らに倫理として課すのであり、この人間と人間との関係のために設定された原則それ自体が既に欺瞞的であることは気づきようもないし、原理的に言って彼ら自身は臆病な統治者とそれほど大差ない人間たちであるという事実は彼らを苛立たせ、自らが不当に糾弾されているという態度をとらせることになる。このとおり、彼らは決して他人たちと見えることがないとはいえ、譲歩は彼ら自身が設定したものにも関わらず彼らにとってそれは他人事であって、自らのうちの「他者」とやらを尊重した結果だと言い張るのである。負けがこんでいるときでも彼らがあれほどまでに頑ななのは他人が抽象であって、出会う生身の人間は類でしかないためだ。どうあっても見栄を張りたくてしかたのない人間たちだから、自分が敗北したという事実に負けてしまいかねないのだろう。彼らはなるほど外からの声に敏感な部分はあるし、他人から貶されたくないという気持ちは痛いほど伝わってくる。と、同時に彼らはすべてを外側に投げ出してしまい、何一つ話し合うことも引き受けることも、また多くの場合は明言し責任をもつことすらしない。他人に従ってはいても決して自分たちを変えることはない。いつも骨抜きにして、自分たちを透明なままで保持しようとする。子どもの頃は彼らがそうするのは彼らの損得勘定からで、要するに面の皮の厚い人々なのだろうと思っていた。でも、彼らは思っていたよりずっとナイーブで、シニカルな態度を他人に見せてはいても、他人が同じような態度を自分にとることは我慢できないという一般的で凡庸な反応をする。相対化は得意でも、何かを語るときに自分自身と矛盾しないように認識を一致させるということはより少ない。おまけに彼らは他人が自分と同じように後ろ暗くいやらしい生き物だと仮定して、しかもその事実に本当に傷つき、自分によりいっそうの抑圧を課そうとする。彼らは主観的には実に生真面目でナイーブな生き物であるだろうし、そう思うからこそ自分たちを被害者として措定したがるのだろう。少なくとも、それは「実感」に合わない、というわけだ。彼らは聴かれもしないのに得意になってこの仕組みを吹聴して回るのだが、その仕組みがそれ自体静的なものとみなされるということは、すなわち行為主体たる己自身をオミットする羽目になるという厳然たる事実には頑なに口を閉ざす。きっと、それも彼らの実感と異なるからだろう。


彼らは彼らの唱える相対化の趣旨とは異なり、まったく相対的ではなく、彼我に非対称的な関係を前提として設定する。彼らはそれを公平とか平等といった言葉で呼ぶわけであるが、それこそ彼らが自らの原則を常識的範疇として堅持している何よりの証左なのだ。彼らの滑稽さは彼らの恐ろしさである。このことは思想信条として表明されようが、あるいは単に常識的な態度として示されようが変わることは無い。彼らにとって言葉や観念は、この現実における生き方としての身振りにまで影響することはないのであって、この自らの慣習的身振りを拒否することは一般に信仰と摂理の道へと人を誘惑するものと考えられてしまう。言葉をより多く知る人間たちは、なるほど自分たちをその他大勢の凡庸な群れと対立するものとして表象するけれども、本来的には何一つ変わらない。政治的な表現をとったときに支配的言説はリベラルと保守の対立項に物事を還元するわけであるが、このことは何が対立を本質的に調停可能なものとするか、言い換えれば既に常に和解を前提とした出来合いの選択をめぐって精々が見世物でしかない敵対を演出するために何を排除しなければならないのかを示している。保守派――今では、そう自称される割には余り目にすることの無い存在になってしまったけれども――が現実の既成秩序に依拠してしか物事を推し量れないとするのと同じように、リベラルは既にあったものの中にしか希望を見出せないし、理念がどれほど高慢なものであっても現実原則として措定された了解の原理が彼らを孤独な闘争に陥ることを忌避させるから、結果として大差のない敵対を大仰に喧伝し、既に和解可能なものとしか向き合わないという道を選ばせる。時として理念の型が彼あるいは彼女を個人としてこのような出来レースから道を踏み外させ、それによって新しい展望が開けてくることはあったとしても、この経験は十二分に反省される以前に集団的な自明性に回収されてしまい、未だ存在しないものとして価値づけられたものの中でのみこの逸脱を許容することになる。何時でも、退路は確保されていなければならず、危機は決定することではなく防衛することを要求すると理解されてしまう。自由主義が何であれ、彼らが権威を知るのなら、彼らと他人たちとの対立は決して必然的なものではなく、闘争はむしろ彼らの自明性を守ることを戦術的な目標とするだろう。問題は、けれども、彼らが権威主義者であり単一の原理への服従を指導される人間たちに要求する点であると共に、あるいはそれ以上にこの自明性が国体を最早意識することのない時にしか成立しないという点にある。


自由主義の間抜けではあっても可愛げのないではないプチブル楽天主義とご都合主義は、政治の場に移ったときに何故、あれほどまでに彼らが動揺しやすく、敵対性を設定できないほどに分裂してしまい勝ちなのかを説明している。本来性、というのなら自由主義プチブル道徳は本来的に自分をオミットできないような世界には本性からして生きていけないのである。相対化は真剣に受け止めるなら――あらゆる信念や確信を偶然性に委ね、主観の見出す物語であると公言するほどに深刻になるのなら、行為と思考の間の距離を乗り越えざるをえない地点にまで人を運ぶのであって、両者にあると考えられた断絶は、事実においては現実の中で何時でも無数に乗り越えられているにもかかわらず常時には気づかれにくい、あの判断の瞬間性を予告するのである。我々は考えるよりも先に判断しているから行動があるのであって、このことは決して何も考えずに惰性や慣性に従うことではなく、むしろ反対に自分を外に放り出すということを意味し、それによってこそ思考が可能になる身体を持った人間の前提なのであるが、しかしながら、同時に考えることは常に遅れているという事態を危機として生きざるをえない。だから、自然な反応としての保守があるのと同じくらい、反動としての保守もまたあるのであって、このことはただ一人の人間の中に同居するのではなく集団的なものとしてひとつの主体を立ち上げてしまう。だから、何時でも彼らは自明なものとして我々と言わざるを得ないのであり、それは彼らの原則に違反しているのではなく忠実なのである。常に複数の、そして群居する互いに孤立した個人や集団からなるこの「我々」は、けれども、定義されるという形式上の問題からは逃れてはいないし、なによりそれを語るのは常に誰かであって、「我々」ではないのである。彼らの相対化はそれより先に、あるいはそれより深く、しかし同一の平面に、自分自身を置こうとはしない。確かに蓋然性があるから、主観的観測によって練り上げられたイデオロギー的目標もまた手段と同様に問うことは可能だろう。手段が有効であるかどうか以上に目的が共有可能かを問うことが有意味なのはこの限りである。蓋然性は、けれども、専ら事実によって問い直されることなくしては、言い換えれば物事を再構築しなければ、力を失うのだ。彼らはこの暴力を厭うが、同時に心底必要ともしている。そして、自分たちでこの暴力を行使することは自分たちを引き裂いてしまうことをよく知っていて――出来の悪い思考停止の真似事を除けば、決断はエクスキューズを許容し得ない――、彼らの大半はこの既成の秩序を守らざるを得ないのである。彼らが物語としての革命は許容できても、神話としての革命を拒むのはそこにある。


シニカルさと極端なナイーブさを共存させることが出来るのは、こうした仕組みに拠っている。自由主義者たちが財産と所有権を基礎におかざるを得ないのは、それを前提とした現在にしか自分たちの安住がないからであって、何が終わろうが何が変わろうが彼らが自分たちで考えている程には彼らは客観的ではないし、また事実の冷静な判定者ではない。歴史がこう変わり、構造がそうなった、ということをくだくだしく述べ、意味を必然性とすり替え、単なる惰性と日和見を現実的なものとして措定し始める頃には、彼らの大半は自分自身についた始まりの嘘を綺麗さっぱり忘れてしまっている。教養と知識は判断力や知性とは無関係であるとはいえ、社会的なマジョリティーを構成するに足るだけの支配的な価値と言葉をワンセットで受け取るのには適している。文字で書かれたものと、労働=仕事によって体得したものが対立するのが仮に真実だとしても、その対立項自体が既に欺瞞なのである。彼らはそれを梃子に現実的解決策とやらを他人に強制しようとするわけであるが、何処からはじめようとも、どれほどの分岐を含もうとも決して乗り越えられることの無い境界線があるのだ。これが世界の掟であって、この暴力を彼らは最近まで心の底から忘れたような顔をしているが、以前も今と同様にシニカルさとペシミスティックな態度で原理的抽象論を振り回していたことを誰が忘れるだろうか。主義の有無を基準にすることも、具体的な社会的志向を物差しにすることもなく、ただ一点、国家と日本人の物語だけは相対化できないという事実がほかならぬ「我々」を分断しているのである。彼らは世の常識と世界の必然と人間の本質を規定し、彼らの前提とするばかりか、他人たちをも含む包括的全体としての我々の現実であると主張するわけであるが、事実においては我々とは常に分断され分裂し敵対し野合し離散する運命にある他人たちとの協働の必然性なのであって、ただの一度も総括をしたことがなく、予め忘却した上で我が身を哀れむことだけが得意な下種な連中だけがこの地上に生きているわけではない。秩序を揺るがすことが平和を脅かさずにはいられないとすれば、それは彼らの秩序だった世界がそもそもの起源を忘却しているからである。彼らは己自身を根拠とすることは出来ないというけれども、彼らが根拠を置いている<現実>それ自体が既に彼らのために用意されたファンタジーではないと居直るほどの覚悟はないから、勢い物事を維持するための幻影を防衛するために多くの犠牲を強いることになる。


だから、誰かがリベラルの名を僭称しているか否かはどうでもいいことなのであって、実際のところこの社会におけるリベラル(自由主義者)は元から自分たち自身を裏切っているのだ。ご丁寧に彼らは危機的状況やより一層の悪い事態に備えて前もってこの平和を維持することを唱導し、これに反対するものを極左冒険主義の名の下に封殺したのと同様のやりかたで、権力の挑発に乗る愚か者として表象したがるけれども、他人たちが彼らとは異なり、彼らと共にあることも、互いの敵となることも、共に等しくある他人たちの自由なのであって、彼等がミドルクラスの夢物語の中で存分にシニシズムに浸る自由があるのと同様に、他人たちには物事を事実において変える欲望があるのだ。そもそも率直に言って、彼らの話に関心をもっている人間などほんの一握りであって、多くの人間にとってはそこが歴史の終焉だろうが、システムの勝利だろうがそれこそどうでもよい話だ。何時でも変わらず権威と権力と抑圧があるのなら、その時には抵抗と敵対と破壊があるというだけのことなのであって、行為する以前に目的としての理由や正当性を確保しようとすればおそらく思考は無限に行動を遅らせるのである。思考が必然的にそうだとしても、思考と行動を寄り沿わせる以前からこの行為の次元をオミットするような思考の型というのがあるのだ。彼らのように話し、彼らのように考え、彼らのように感じる人間たちにしか関係の無い御託を偉そうに説教して回ったところで、誰も坊主の説法などに耳を傾ける気にはなれないし、人生にはもっと大事なことがたくさんあるというのが素直な感想だろう。彼らにふさわしい言葉は遥か昔に次のように言われていた。すなわち――君たちは本来あるべきところ、歴史のくずかごに行くべきなのだ、と。




うんこ。