ヤフーの八割というのが根拠である辺りでとっても悲しい。

子どもの頃は、日に二三回は「革命」とか言っていましたが、最近は一月に二三回で済ませられるようになりました。代わりに、年がら年中「暴動」とか言ってますが。まあ、面自体が何かキビシイ感じのするタモガミさんですが、つい[脳の病気]とかタグをつけたくなりますね。こんばんわ、こんにちわ、ごきげんよう。久方ぶりに電波日記を書こうとか思ったので、何か愉快なネタはないのかしらとネット上をうろついてみたのですが、ネタがありすぎるというか世の中のお頭が心配という勢いの状況では何をしても電波にしかならんなと勝手に結論付けました。で、件のタモガミですけれども、お頭が緩いのはいいけど、どう考えても自覚的かつ意識的な右翼だろ、コイツ。ファッキン与党と政府が右にしか立たないのはいつものことだけれども、建前くらい守れよと思わないでもない。そんなことだから尻穴さんは馬鹿にされるんですよ。尻穴自体には大した政治的意識を持ち合わせてないようにも思うけれども、政治的イデオロギーは本人の意識だの思想信条だのを超えて作用するからこそ、イデオロギーなのです。まあ、アベちゃんみたいに頭が悪くて本気という色々と哀しくなる人もいますけどね。で、大半がなんとなくリベラルとなんとなく保守の間をうろうろしているように見受けられる社会においては、そらあ、与党の皆様方が国家主義とかミリタリズムとか――平たく言って権威主義的で男根主義的な発想に回収されるのは無理もないというか、必然のなせるところかなという気もしますけれども、いずれにせよ国家装置が権力の関係性に由来する非対称性に対して向き合うなんてことは相当珍しい話であって、どこの国であってもそのようなあり方を実現させるためのコストというのは極めて高くつく。というか、西ヨーロッパでどうだろうが、中央集権的で官僚主義的な国家体制の方がベーシックじゃないのかしら。現在の世界を見渡してもそれのが標準て感じがする。で、官僚主義的な統治のあれこれを巡って、コップの中の戦争がしたくて仕方のないリベラル(笑)な人と保守(笑)な人の野合というのが現在の民主党の基盤だと思う。どっちでも大差ねえじゃんという。

一部で大層評判の悪いあずまんですが、わたくし様から見るとむべなるかなという感じもします。つか、彼のアレな素振りでずいぶん前から有名だった気がするんですが、俺だけ?何かの対談で従軍慰安婦についても似たような発言してたと思うけど、要するに自分のような「素人」には「政治的論争」の的になっていような歴史的事実関係は最終的に正当性を判断できない、という何かのテンプレみたいなことを言ってるわけで、レベル的にはネット侍の皆さんと同じです。割合、よくいるタイプだと思いますよ。自分の感情的傾向というあ情緒的な反応を合理化する人たちって。時流に乗って右翼デビューとかいう人は先ず見当たりませんが、風見鶏よろしく、世の中がどっちに向いているかは動物的嗅覚で判断してその方向性――つまり、マジョリティーを占める価値観や感覚に迎合する形であらゆる物事を判断し表現するような――に則って喋る人というのは恐らく何処にでも見出せますし、批評家だか知識人だかがそれでいいのかと言われても、職業上の専門性の外にあるような出来事に対する不見識と不遜さというのは技術的専門化の弊害なわけでして、人文プロパーであるにも関わらずというよりは、むしろそれだからこそ平然と歴史学の蓄積を台無しにしても平然としていられるし、胡乱な客観主義と曖昧な主意主義のウンコを抱えて生きていらっしゃるのは、彼一人というわけでもございますまい。

あ、つか、アズマンてそもそもがリベラルって認識だったっけ?おれの中では、よくいる国家主義自由主義という感じだったんですけど。テクノクラート型支配が大好きな人でしょ、こいつ。もったいぶって懸念なんか表明しないで素直にディストピアに萌え転げてればいいのに、意味もなく気取ってみるのが悪いんですよ。まあ、本人たちにしてみれば狭い世界をこそ全体にしたいんだろうから、いわゆる「政治」的なものの復権みたいのは相当気に入らないんだろうなというのも分からんでもないけど、それにつけても、この人たちがほぼ無自覚に――彼らがどれほど自分について理解していると思っていても――「政治」的な身振りをとっていることが明らかなのは、要するに現代思想のテーマだの、フリーター・派遣問題が世に広く取り上げられたりとか、その程度の事態にイデオロギーを見たがる辺りで、これは例のユデダコ不当逮捕事件なんかでも見られる「政治的なもの=規制されているはず=それが当たり前」みたいな認識にも共通するところの低レベルさなわけだから、とてもじゃないけど、マトモな人は付き合いきれないよね。