どのくらいの正直具合を望んでいるかというと

ワタクシ様はネット空間が自律的で本当の意味でインフラとして確固たる基礎を築くなら、そのような空間は結局どうあっても公的なものにならざるをえないだろうから、そういう場所で私的な反射的感情やら非反省的罵倒を垂れ流すのはどうかと思いますけれども、我々はこれほどまでに日常生活において感情を抑圧し、あるいは欺瞞的なかたちでしかその欲求を満たしてきていないわけだし、そもそも人間は自分に正直であってくれた方が一層、他人に誠実であることの原則に近づくわけだから、好き勝手にやってくれた方が良いことなのだとも思います。



むしろ、その点において、未だ日本語ネットの世界は奇妙な礼儀感覚や集団の作法を尊重する姿勢や、あるいは欺瞞的な道徳の詐術に囚われすぎだと思います。もっと好き勝手に自分勝手な欲望に忠実な姿勢でないと楽しくありません。大体、日常の抑圧から自由になって、世間の目さえなければ何をしても構わない村人根性丸出しで半匿名の喜びに浸っていらっしゃるわけですから、やはり、その反動性を真の急進性に転換させるべく、ブルジョワ道徳も公共心も義務感情も全てかなぐり捨てて頂くことが肝要と思われますがいかがなものでしょうか。



まあ、かくいうワタクシ様も、中学くらいの頃は、愛国とか祖国とかいう単語を聞くたびに苛立ちを隠せない大層イデオロギー的に正しい人間で、それどころか国家のこの字を聞くだけでも頭に血が上る大変立派な人格者でありましたけれども、最近はこれらの観念どもにも非常に寛大な気持ちで接することができるようになりました。まあ、「死ねばいいのに」とか「豆腐の角に頭をぶつけてお亡くなりになればいいのに」とか「いっそのことレミングよろしく集団で崖から飛び降りればいいのに」とかそういった判断を抜きにすれば、その手のお話が好きな人がこの世に居ることなんて、どうでもいいんじゃなーい?――といった非常に自堕落で大いに問題のある感覚でおります。昔は愛国心とか郷土愛とか共同体主義とかそういうのがもう蕁麻疹が出るくらい不愉快でしたし、革命がポリ公と兵隊を無くせないということが本当に憂鬱だったわけですが、昨今はまあ適当に手を打っていくしかないよねー、その都度の状況に合わせてその場しのぎにいじっていくしか道はないだろうしー位の認識で開き直ることにしました。レーニンもクズだけど、餓死しないシモーヌ・ヴェーユもかなりキツイと思いますよ。




そういうわけで、皆様方におかれましては自分の偏見と独断だけを誠実に示して、以てバクーニン的総破壊の一助となって頂きたく思われます。要するにアレです、木の棒でうんこつついて大喜びな小学生感覚こそが必要なのです。ついでに言わせて頂くなら、ワタクシ様はその出自からいっても、感覚からいってもプチブル階級性に抜きがたく規定されているでしょうし、結局どう足掻いても奇妙な異端のインテリゲンチャ落ちこぼれ組に回収されてしまうのが関の山だと思っておりますが、それでも基本的に階級闘争は自己の階級の否定性であっても何の問題もないと考えております。インテリ層はその自尊心や傲慢を自己批判し且つ常に労働者階級の一員としての立場を第一のものとする限りで、そしてまた、彼らにあっては教養や知識の色眼鏡で被抑圧階級を見ることなく、他人たちの意見を誠実に受け止め応答する限りで階級闘争の当事者――自分自身の階級への憎悪と敵対に基づく――であることができる思っております。というか、そんな話なら年収200万以下のワタクシ様は紛うことなき労働者階級の一員でありますし、その怠惰さと生来の公共心の欠如や都市生活の基本要素である不機嫌さや排他的感情という点からもルンプロ以外の何者でもないわけですが。まあ、働くの嫌いだし、痛いのとか怖いのは嫌だよね、頑張るとか努力とか言いだすとお腹痛くなるし、できることなら寝て過ごしたいよね、やっぱり――みたいな感じです。知識人とかいうオモシロ人種の仲間には入りたくても入れないと思いますし、資本家やブルジョワジーの勤勉さと合理性は欠片もないので、出自を何処に置いたとしても、あるいはその本性として規定しようと、どう考えても落伍者の吹きだまり階層にしか入れないと思います。つまり、ワタクシ様にとっては階級闘争だけが人生の方向ですし、その敗北の歴史から立ち上る無産者の悪意をなくしたいとは少しも思いませんし、せこくて無責任な生活の卑屈さを全肯定しておりますし、労働が人間の存在の形式になるほどに本来的なものであってもやはり尚も否定的なものでしかありませんし、人間が自由であることは暴力の可能性なしには語れないのならそれを認めるべきだと思いますし、お金がないのはお金があるよりはやはり色々と辛いことですし、しかもその現実でさえ結局他人たちの存在なしには何一つとして完結しないし、資本制の唯一の良心的措置は匿名性と無名性であると思いますし、給料なんてものは溝に捨てるように浪費していくことでしか存在を全うできないものだと考えております。