革命的な、あまりに革命的な


id:toledセンセイのお株を奪ったとか謂れのない非難をスターリニスト官僚に浴びせられたので、名誉回復のためにジジェクの本とか買ってみた。とはいえ、こいつの本はほとんど読んだことない。共産党宣言を再読するだかの小冊子とあと1冊か2冊程度。大体、マルクスヘーゲル)とラカンフロイト)って、一番苦手なジャンル。意味分からないし。


ロベスピエール/毛沢東―革命とテロル (河出文庫)

ロベスピエール/毛沢東―革命とテロル (河出文庫)


タイトルが「ロベスピエール毛沢東 革命とテロル」ということで大好きな部類の本のはずなんだけど、案の定、意味プーな言葉が躍っていて殆ど満足に読めません。所々、面白い箇所もあるんだけど、全体としては何か知らんがいけ好かないボルの異端児って感じ。


まあ、しかし意味が分からんのは翻訳*1の所為なのか、それとも原著自体の問題なのか。とりあえず、意味のないルビを振るのはやめてほしい。


文革に関してはそもそも中国共産党の歴史について概説書程度の知識もないので何とも言えないけれども、基本的にスターリンの大テロルと同様に、ある種の歪曲された永続的な革命的テロルの運動と捉えているのかな。で、この種の指導される――しかしまた下からの、従って「革命」的な――テロルの連続って図式はどこかで聞き覚えがあるというか、何かを連想させるなあと思ったら、あいつだ、あいつ。ナロードニキきっての電波イデオローグ、お脳の具合が余りにラディカルかつエクストリームだった為に精神病院で死んだあの方――ピョートル・トカチョフ先生だよ。


革命的犯罪の第三のイデオローグは、同じくバクーニンの弟子であるペーター・トカチェフ*2だった。彼は理論の戦場における、もっとも不可解で、かつもっとも徹底した恐怖政治家だった。かれは、革命の理念を実現する能力を持たない25歳以下*3のロシア人を、皆殺しにすることを提案した。かれは、自己目的としての永久テロルを宣言した。テロルと革命は、彼によれば、もはや手段と目的の関係にあるのではない。両者は一致する。革命の指揮者は無制限の暴力を有する。かれの部下はことごとく道具であり、かれらに対しては、かれはどんな集団をとってもかまわない。ツァーの死かばねの上に立ちあがる革命は、新たなツァーであって、それは昔のツァーよりもさらに恐るべき、さらに絶対的な統治をおこなうだろう。


(H・M・エンツェンスベルガー 『政治と犯罪』 晶文社


まあ、正確に言うと、彼の理屈には永続的な革命テロルという観念はないし、一見するとジャコビニストのロシア版つー感じなんだけど、そこは19世紀の社会思想――わけてもマルクスバクーニンを経てるから、権力の正統性と正当性としての人民(ナロード)に強調点が置かれていて(つまり、最高度の革命の実現にあっては国家は自然に消滅するとされる)、そうすると理論的には(テロルの永続的反復が)必然的な帰結だと思うんだよね。


トカチョフは、革命の決定的ファクターとして、自覚した少数者の組織的行為すなわち厳密な原則、見解と目的の統一で固く結ばれ、中央集権的政党に結集された「知的にも、道徳的にも優れた人たち」の組織的行為を考える。この政党の主要課題は、統治的権力を握ることにあるが、国家を媒介項とする獲得手段は、陰謀だ。だが、政治的権力を握る主要課題を追求する党は、「この目的を首尾よく達成するには、ナロードの直接、間接の支持がなければ不可能だ」ということを寸時も忘れてはならない。したがって党は二重の性格をもつ。「一方では、上からの権力獲得の準備と、他方では下からのナロード一揆(暴動)とを行うことが必要だ。」戦術的計画のこの二つの部分の組合せと緊密な結合だけが、何らかの「プラスの揺るぎない成果」を生むのである。


(……)


「革命的国家には、二重の機能すなわち革命的、破壊的機能と革命的、建設的機能はなければならない」。第一の機能の本質は、闘争、したがって暴力である。第二の機能は、主として「道徳の力」に、信念に、人民の自由と理性とに、また「人民の生活に導入された変革の永続性と最適なる適用性」にそれぞれ基礎をおく。トカチョフの見解によれば、革命的国家のこの二つの機能を厳密に区別すべきであって、すなわち第一の機能は、社会の保守的、反動的要素との闘争に対しては冷酷・不撓を特徴とし、逆に第二の機能の構築的行動は、弾力的であることと、ナロードの欲求と発達(度)の所与の時点の水準に適応する能力が特徴となる。


(ガラクチノフ、ニカンドロフ 『ロシア・ナロードニキのイデオローグ』 現代思潮社


革命的独裁がその手段としてテロルを行使するにあたっては、確実に組織化された官僚的なマステロルの形式になるだろうし、その運動が人民議会の承認によって行われるとしても、あからさまに問題になるのは<反動>の意味が独裁権力の介在によって動的に再編成されざるを得ないという点で、もし人民が権力の源泉――それも単に議会によって代表された間接的な存在としてではなく、より直接的なものであるなら(国家が最終的に破棄される制度的枠組みであるなら、そして、それが単なる理念的観念に留まらず実効性のある形で実現可能であると想定されるのなら、人民の直接的無媒介的な表現だけが権力そのものであるような状態においてだけその終局が到来すると考えられる)、その時には専制と官僚制は最終的に<反動>そのものであるより他なくなるから、<人民>とその意志を表象する前衛は今度はこれに対抗して――正しく革命的な!――テロルを行使していかなければならなくなりませんか、ていう。

まあ、それ以前に<人民>なんて曖昧な集合に基礎を置く限り、絶えずその内部で敵対性を設定していかざるを得なくなるか(人民の敵)、或いは統治権力を破壊するような形でのテロルの全面的発動を行うか(客観的裏切り)のどっちかしかありえないよね。怖っ。

*1:訳者が色んな意味で有名な、長原"デムパ"豊センセイなので

*2:英語表記だとPeter Tkachav

*3:原文ママ。これ、私有財産制とかにこだわる傾向を捨てきれない人間を反革命分子として処分することを要請するものだったはずだから、25歳「以上」の間違いじゃないかな。