正しいプロパガンダのありかた

madashan2008-04-27


政治的に大変正しくかつ立派なプロパガンダというものは他人の眼には異常なものとしか映りません。
それはたいていの場合、認知の不協和という形で訪れますが、この不協和こそが事実についての如何なる認識にも勝って敵対の線を引くものです。


ここに描かれたある歴史的出来事に対する認識は偉大なワタクシ様には殆ど理解を絶するような代物でありますけれども、その大半の理由は単にスタ公とソ連共産党中央委員会へのこれでもかと言わんばかりの忠誠っぷりにあります。この部分をうまく緩和して誤魔化してやれば、ハンガリー革命もあるいは動乱という表記で呼ばれるべき出来事にまで落としこめることが可能かもしれません。つまり、共産党主義者の修正主義的欲望を満たすためにはソビエトはなるべく表に出してはいけない存在なのです。しかし、彼らは己の存在理由を党と指導者においているのでそこを外すわけにはいきません。この動画はそのような苦痛の表現をあらわしているのであり――嘘です。どう見てもスターリン及び中央委員会への前時代的な崇拝に満ちているだけの動画です。それでも残る問題はこの動画の作者がワタクシ様より若いということでしょうか。別に四半世紀くらい年齢が違うならそういう人がいても驚きはしませんが、二十代前半か下手したら十代後半でこの認識はすごいです。ある意味、偉大です。テロップの「YURI NEVER FORGETS」「YURI NEVER FORGIVES」にも本気度がうかがえて大変素晴らしいと思います。

まあ、しかし、ボルシェヴィキとその系譜に連なる共産党ってのはどうにも革命的暴力装置であるよりは軍事的暴力装置って感じがしますな。
ちなみに革命的暴力というのは暴動の謂いです。若干の陰謀家たちがその隊列に潜んでいて、彼らは彼らでこの暴力に一つの政治的意味を与え、明確な戦術的色彩を与えようとしますが、全体としては抵抗と反乱という文脈以外大した目的を持たないものです。

火炎瓶とか投石に交じって重火器が登場し始めたら少し考え直した方が良いということなんでしょう。革命評議会が正規軍化を決定したら革命は終わったということです。戦争と革命は矛盾します。少なくとも無政府主義者にとっては。まあ、それでも革命が必然的に内戦に発展するならどうするかといえば、その時は革命戦争だけが残された道です。しかし、そう主張したカミロ・ベルネッリはカタルーニャ警察と共産党民兵によって殺害されました。そして、CNT中央委員会はバルセロナ蜂起を非難し、彼らの大臣たちはマドリード中央政府と決別することを拒否しました。
とはいえ、それ以前にそれだけの力量をもった社会運動が存在しなければ何の意味もない机上の空論です。したがって、全国のやることがなくて不平不満をかこっているボンクラ諸君は往来で不法占拠や破壊活動を繰り広げるあたりから始めては如何でしょうか。